2021年1月1日金曜日

パンドラの箱

 


サンマイクロシステムズのチーフ技術者でBSDの開発者でもあるビル・ジョイ氏は以前「ロボット工学や遺伝子工学、ナノテクノロジーといった21世紀の強力なテクノロジーが、人類の存在を脅かす」と述べ、近代文明の過度の発達に警鐘を鳴らしていた。

近代文明はフォン・ノイマンの理論で作られた「コンピュータ」によって著しく複雑化した。
これは人間の行いを「記号」と「計算式」で表現することに成功した。
今のコンピューターはほぼ全てフォン・ノイマン型と言われる演算装置で動いている。

ノイマンの理論は構造人類学の祖でもあるレヴィ=ストロースによっても注目されていた。
彼は人類の社会の持つ「構造」を、これによって明らかに出来る可能性をしばしば指摘している。

現代社会は様々な点で「コンピューター」が関わりを持っている。
計算と論理、数理論理学によって、人間の能力をはるかに超えた計算ができるようになっている。
これは人間を「豊か」にしたように見える。
たしかに、それは物質的、精神的な満足を多くの人々に与えた。
その結果、人類の数は加速度的に増えた。平均寿命が延び、医療も昔と比較すれば格段に発達したのである。

物質的にも、精神的にも、人間は従来「到達できない」と考えられてきた世界に到達している。
これは人類に飛躍的な「変化」をもたらしている。

ただ、それは人間と自然とのバランスをおかしくしてしまった。
人間が人間の限界を超えてしまった。「パンドラの箱」は開けられてしまった。

これらは地球温暖化、環境破壊を人類にもたらした。
精神的には、極端な合理主義、享楽をもたらし、人心は荒廃し、貧富の格差は広がっている。
「なぜ、自分より弱い他人を救う必要があるのか。お金が無くて生活出来ないのは、努力をしないからだ。勉強しないからだ。私は強いから生き残る価値があるのだ」という言説は、普通に聞かれる。たとえ聞かれなくても、そういう考え方で行動している人も多く見られるように思う。

「なぜ、神をあがめる必要があるのか。それは人間の弱さが作った幻影だ。昔の人は科学を知らなかったので、間違ったのだ」
人間はついに神を超えてしまった、というわけである。

しかし本当にそうだろうか?人間はそれほど物知りなのだろうか?
自ら「パンドラの箱」を開け、その結果出てきた「不幸」が、今猛烈に人間に襲い掛かっている。
開けたは良いが、それをどうやってもとに戻すのか、分からなくなっているようにも見える。

科学は先住民社会における呪術と同じ機能を持っている、とはレヴィ=ストロースの指摘である。
それは物の本質を偽装して、社会を安定させるように働く力だ。
世間の人の期待通りに、科学も作られているわけだ。
その結果、科学は人間の欲望を無際限に拡大する。たとえ人間社会そのものを破壊してしまうような力でも、それが人間の欲望を満たす力であれば、受け入れられるのだ。
ブレーキの無い車と同じである。
ただ、その偽装が明るみになった時、呪術は力を失ってしまうのだけれども。

先住民社会の言い伝えの中には、必ず教訓がある。呪術に巧みであっても、必ずしも幸福になるわけではない。それによって自ら滅ぶ説話は、いくらでもある。
人類が一つの大きな社会になっている現在、それらの教訓こそ、もっと知られるべきではないだろうか。