2021年1月25日月曜日

人間の手の加わっていない場所こそが大切

 


私が1日も2日も歩き通して、山に行くのは「人間の手の加わっていない場所」を見に行くためである。
人間はそういう場所を「荒地」「山林」と言う。

反対に、幾何学的な線、面、垂線で「手を加えてある」場所、人間が居住できるようになった場所を「居住空間」と言う。
そのような人間の「居住空間」は、見た目が平板で、動き回る時に何の不都合もない。
自動車も走り、電車も走る。
インターネット回線があり、食糧、水もある。
「山林」にはこれらのものが一切ない。

だからといって、これらの「山林」は不要なものだろうか?たしかに人間にとっては不便なので、なるべくこういう場所はないに越したことはない、だろう。
人間は不要なもの、金にならないものを、必要なもの、金になるもの、に変換している存在。
要するに、「人間の側」に取り込む性質を最大限に発揮して今までやってきた。
これは太古の昔から基本的に同じである。

これらは「山林」を減らしてきた。
しかし最近では都市に人口が集中し、却って山林が増える現象も起こしているが。
だがブラジルなどでは、熱帯雨林が農地にされたりして、世界全体で見れば山林は減っているであろう。
おまけに温暖化の影響で山火事などが多発している。

日本では人間の手の加わっていない場所がまた増えてきているような気がする。
一旦農地に開発されたものの、また元の山林に戻っている場所が増えてきた。
それはそれでよいことだと思う。
どんどん都市に人口が集中している。
行きたい人は行けばよい。
だが、私にとってはそこに魅力のあるものは何もない。
どうせ金と名誉と欲を専門的に求める人々しかいない。

これから都市以外では荒れ果てて不要になった場所が、もっと増えてくるだろう。
そういう場所は人間以外の生物が生育する場所となる。
この「無駄」な場所こそが、大切だ。

なぜ大切かって?
この場所が無くなれば、人間ばかりの世界になるからだ。
そんな人間ばかり居ては面白くないからだ。