2024年3月22日金曜日

山は遠きにありて

 


登れない、登れないと言っているうちに、もう3月も終わり。この間行けたのが2月10日だから、ひと月空いてしまった。
山は天気が悪そうだし、急に降雪したり、まだ天気が不安定。
どうも「山が呼んでいる」雰囲気ではないので、登山はずっとあきらめている。

私事でも忙しく、しばらく更新できそうにもない。
これまで、運の良いことばかりが続いてきたんだなあ、と思わざるをえないほど、次から次へと、重い仕事ばかりが重なる。

まあ、こんなこともあるさ。山は逃げないから、いつだって、来年だって、登ることが出来るだろう。


2024年2月10日土曜日

高落場山 草沼山 道まちがえた

 今年も恒例の高落場山登山に行くことができた。
今回は初めて「草沼山(1080m)」まで足を延ばすことにしてみたのだが、分岐が分かりにくく、間違った尾根に入ってしまった。
途中でGPSを見て、間違っていることが分かり、危なかったが、急斜面をトラバースして向こう側の尾根に向かった。
雪崩地形でかなりひやひやしたが、何とか正規のルートに合流。
今回の反省として、こまめにルート確認をすること。そして、間違ったと思ったら「登り返すこと」。
草沼山はノートレース。眺望はとても良いが、天候が悪かったので残念。
(以下の写真、時系列が逆です)

今日はあまり天気が良くなかった


草沼山に向かう道の途中にある「兜ブナ」。3つ又に分かれた珍しい形をしたブナ

草沼山の山頂はガスガス。ガスがかかっていなければ、眺めはとても良さそうだ

草沼山から高落場山方面を見ると、濃いガスが。

高落場山ではガスが晴れていたのに

青空

人形山方面

いつもながらいい風景だ。医王山と砺波平野

山頂に向かう途中のフロストフラワー

針みたい

不思議な造形だなあ

2024年2月3日土曜日

冬の北アルプス また事故発生

 

去年1月、高落場山に登った時の北アルプス方面

冬の北アルプスと言っていいのか、乗鞍岳には一度登ったことがある(11月と3月初旬)。ぎりぎり厳寒期だったのは、3月の時だろうか?

下界と違って空気が薄いのはもちろんであるが、一番問題なのが「寒い」という事である。
標高が高いので、ほぼ確実にマイナス5度以下にはなる。
この状況では、池などは完全に凍り付く。
そのうえ気象の安定しないことが多く、すぐに吹雪いたりする。風が強いと、寒さは特に堪える。「目玉が凍るのでは」と思うくらいの寒さだ。あれは一度経験してみなければわからない。

このブログで「西穂高岳は本当に危険な山だ」の記事が読まれている時には、たいてい西穂高岳で死亡事故が発生した時が多い。
私なりにあの山の危なさを警告しているつもりなのだが、「また発生したのか」といつも思ってしまう。
この記事の中でも述べているように、西穂高岳は「日本の一般道で最も難易度の高い」西奥縦走路の一部であり、特に危険なのは独標から先である。
無雪期でも難易度が高いのに、ましてや積雪期、それも厳寒期に西穂高岳に入ろうとするならば、相当のエキスパートでなければ無理だ。
一般人は決して真似してはいけない。さいきんどうもSNSの影響からか「あの人が出来たんだもの、私にできないはずはない」と思うのだろうか、簡単にこのコースに入ってしまう人が多いような気がする。
夏場でも、このコースは危ない、と思う。何度も登っているが、回数を重ねるにつれて、ますますその危なさを実感する。なので、私はなるべく雪のある西穂には登らない。
なぜなら、険しいからだ。それが一番適切で伝わりやすい表現である。

今回の事故は同行者が遭難したことに気が付かなかったようだが、山頂から西穂山荘まで、気が付かなかったのだろうか?
SNSでつながった「ゆるい」パーティーの場合は、アンザイレンなどもちろんしないし、「誰がパーティーのリーダーであるのか」ということもない。
行ってみれば「全員がリーダー」である、という事になりがちだ。
このような事故が発生した場合、責任は「自己責任」という事になる。
昔なら考えられないような事態であるが、今そういうことが起こっているようだ。

ヨーロッパのように、「ガイド無しでアルプスに登ってはならない」という決まりを作れば、このような事故も防げるだろう。
まあ、険しさはヨーロッパアルプスの比ではないものの、一部でそれに近いような状況を呈する山もないわけではない。せめて穂高周辺で、「ガイド無し登山」を規制してみてはどうだろうか?

2024年2月2日金曜日

今年初糸魚川 津波の爪痕

地震後、はじめて糸魚川に入った。
もっと通行止めやがけ崩れがあると思っていたが、すでに復旧している。
ただ、脇道には「通行止め」の看板のあるところがある。
 
今日は寒かったので、海は大荒れ。
海岸も砂だらけ。波の間隙を縫って石を拾うのも命がけだった。
いつもは無い場所にまで、流木やゴミが押し寄せていた。
これは、1月1日に来た津波の爪痕だろうと思う。
おそらく、3mほどまで波が来ていた痕跡があった。
3mは、人間の背丈の約二倍だ。こんな波が地震から約3分で押し寄せたのだ。

今日は冬型の気圧配置により海は大荒れなのだが、これは「波浪」というものだ。
波高は2,3mあったと思うが、これと津波は全く性質が異なる。
津波は、水の量が増えるのだ。だから、「溢れる」という感じで押し寄せる。
波浪は、水位の変わらない上下運動だ。
まだ、地震の起こる危険性は排除できない。
なので、常に「緊急地震速報」を注意しながらの探石となったのであった。

波が危険すぎて、あまり石が拾えない。梅林石、石英、ネフライト

今まで見たことのない場所に流木がある。これは津波の痕跡だろう。

波は確かに荒いが、水面の高さは変わらないので、注意すれば避けられる。

どんよりした、日本海特有の鉛色の空。しかし、この風景もなかなか好きなのだ。

2024年1月20日土曜日

能登地震の被災地へ入る



大きな地震から、今日で20日経過した。じつは親戚が被災地にあるので、発生から5日目に後片付けの手伝いで行ってきたのである。その時の事を少し書いておこうと思う。

建物は地面に沈降したかのように崩れており、中に入るのも勇気が必要な状況だったが、自治体による被害判定の直前で中に入ることができた。
柱は斜めになっており、建物は分裂、床は約10%ほど傾斜していた。
この状況では、取り壊さざるを得ないであろう。
「危険」という赤い紙が貼られた。

周りの家はどれも半壊か全壊。
写真のように「液状化」が発生して、下から砂が噴き出している。
アスファルトは割れ、マンホールが浮き上がっている。

現地は奥能登からはかなり離れているが、一番被害の大きい奥能登では、どれほど甚大な被害が発生しているのか、見当もつかない、と思った。

この地域では、これほど大きい地震は起こらない、と今までは思われていた。
今度の地震は3000から4000年に一度の規模だった。
仮に1年に1mmの隆起があるとしたら、今度の4mという隆起は、そのひずみが一挙に解消されたことを意味する。
その現実が、あまりに衝撃的過ぎて、受け入れられない。

日を追うごとに被害の状況が明らかになっているが、とにかく今までにあまり例を見ないほど過酷な状況である。
奥能登が都市部と離れている僻地であることが、被害をさらに大きくしている。