2026年4月17日金曜日

ココヘリ 衛星対応

 


登山の時は必ず携行している「ココヘリ端末」であるが、やっと衛星(スターリンク)での通報に対応したようだ(SMSでサポートにスマホから連絡する仕組み)。
山の中、とくにマイナーな山では、携帯電話の電波はまず届かない。
もしも何かあっても、今までは誰かが下界から警察に通報してくれるぐらいしか期待できなかった。

最近、スマートフォンにはデフォルトで「スターリンク」サービスが付いてくるようになった。
これは通話はできないが、ショートメッセージを送れるサービスである。
いままでの状況からすれば、かなり画期的である。何かあった場合、誰かに助けを呼べるからだ。これは大きい。いままでは高価な端末(Garmin InReach)でないと、出来なかったことである。
ココヘリの今回の改定は、何かあった時、メッセージをココヘリサポートに直接送ることが可能になったことを意味する。

ただ、この衛星通信にも死角があり、見晴らしが良く、障害物がない所でないと、通信できる可能性は低い。
たまたま落ちたところが谷だったりすると、使えないことになる。この辺りは、Garminの端末の方が心強いのではないだろうか?
スターリンクは見晴らしの良い場所でないと電波を受信できないが、Garminの採用するiridiumネットワークは空が見えていれば通信できるらしい。
実際に怪我すれば、谷に落ちたまま、身動きが取れないことは大いにあり得ることだ。
さらにスターリンクは高周波のため、荒天の場合、電波が減衰し、通信できないこともあるようだ。iridiumは低周波なので、荒天には強いようだ。

いずれにせよ、衛星通信が使えない場合は、誰かが警察に連絡してくれるのを待つしかないのである。
ゆえに登山届は必須であるし、家族や知人への連絡も省略できるわけでは無い。

とにもかくにも、「遭難」しないことが一番大切なのだ。
便利なサービスも決して万能ではない。

2026年4月15日水曜日

赤祖父山東峰 扇山 新山峠下山

春山一回目は、いまだ登ったことのない、扇山、赤祖父山、そして、東峰。
天候良く、朝6時台から登山開始。
登山口からは急登が続く。これらの山々は砺波平野の周りに立つ「屏風」の上のような雰囲気があるので、険しいのだ。
ここは「道宗道」と言われている道の周囲にあるピークである。昔五箇山から、井波まで、赤尾道宗という方が通った道だという。昔の人は体力があったのだな。
山頂付近は、春の雰囲気。ブナの新芽に快晴の青空が映えて、大変爽快であった。
良い登山であった。


登り始め。雲海が眼下に広がった

赤祖父山山頂から、東峰を望む。おそらく、雪のある時期しか行けない

新山峠に向かう。眼下に赤祖父ため池

新山登山道。途中のかなりきつい斜面に立つ、樹齢数百年は経っているであろう大杉

ここはトレランのコースにもなっているらしいが、傾斜があり、しかも崩落

残雪も、ルートファインディング要素も多い。難易度高め

山桜きれい

ここが新山登山口入り口。案内標識は無い

扇山

ここは日本水源の森百選に選ばれている、江戸時代より伐採を禁止されている貴重な場所

登山口付近から、医王山方面

 

2026年4月7日火曜日

アクセス数多い? ああ、ラピスラズリのせいか

 糸魚川の海岸でラピスラズリが発見されたとか。


ラピスラズリはラズライト(藍方石)、ソーダライト、パイライト、カルサイトの混合岩石である。
パイライトとは黄鉄鉱のことであり、よく見ると、金色のきらきらした粒として含まれている。これは硫黄化合物なので、硫黄のあるような場所に生成する火成岩の一種であろう、と思っていたが、実際は接触変成岩なのだそうだ。

これはカルサイトを含むことから想像できるように、結晶質石灰岩の中に生成する。
ただ、これは珪質の少ない石灰岩質の地質中にできるらしく、普通は珪灰石が含まれるような環境では生成しない珍しい石である。
主な産地はアフガニスタンであり、写真の石もアフガン産のラピスラズリである。

糸魚川でこの石が発見されたのは、想定内である。なぜなら、あの近辺は「超苦鉄質岩」が多く、珪酸が比較的少ない土壌だからだ。この中に、珪質の少ない領域があり、そこで生成されることは不思議ではない。
また接触変成岩もけっこう多いので、ラピスラズリの生成される条件は整っている。
接触変成岩は、マグマとの接触でできた岩なので、硫黄分も多く含まれる。
たぶんアフガニスタン一帯には、ラピスラズリ以外にも、貴重な鉱物があるのだろう。
ユーラシア大陸が圧縮され、険しい山岳地帯になっている。
お隣のイランも同じ様な地形をしている。
天然の要塞のようになっており、戦争では攻めにくい地形である。
地図で見ると、どちらの国も、標高が高いことを示す茶色がほとんどである。

ただ、私はこれまで数十回も海岸に行っているが、青い石自体が非常にめずらしく、はっきりと「青」だと言えるような石は、めったに見つからない。
たまに発見しても、人工のガラスであることがほとんど。
緑ではなく「ブルー」の石は、自然界では本当に稀である。

ラピスラズリは市場に流通しているものはアフガニスタンとチリのものがほとんどだと言われる。
こちらの石は綺麗なものも多いので、実際に入手したかったら、購入することをお勧めする。
糸魚川産のものを写真で見たが、青みが少なく、宝石として使えるようなものではない。

※ アフガニスタンは紛争地帯であるが、かなりの原石を輸出していると思われる。
売上金は、ターリバーンが持って行っているのか?それとも外国資本が入っているのか?分からないけれども、かなりの量が市場に出ていることは確かである。
その資金で戦争をしているのか、と思うと複雑な気持ちになる。


2026年1月30日金曜日

スランプだね


 
アウトドアが出来なくなってから、足の力が衰えてしまった。
山歩きをしないから、筋肉が失われてしまったのである。
なぜか?

この精神状態で、山に行く気持ちにはなれないのである。この時は、けがをするか、死ぬかのどちらかだと真剣に思った。
そして「偶然に」12本アイゼンを着けていたこと、ピッケルが利いたことによって、大事に至らずに済んだ。
これについての複雑な思いが、まだ晴れないのだ。


山の本当の怖さを知った。これまで何十回も危険な山は経験してきたはずなのに、この時は特別だった。
そして体力の衰えと年齢を、改めて認識することになったのである。

以前のような、勘、体力、視力、バランス感覚などが無い。
それらが年々衰えてくる感じだ。

わたしは「たまたま助かった」という登山は「失敗だ」と強く思っている。
そんなのは登山じゃない。
最初から「インシデント」が「想定内」に収まっている登山を、安全な登山というのではないだろうか?
それが「想定外」になった、とすれば、再びそのような行動はすべきでない、と思う。
理由は「周囲に迷惑をかけるような事はしたくない」からである。
ましてや、個人的なレクレーション中の行いである。

しかし本当にこれで良いのだろうか?という思いも、一方では持っている。
歩かなければ、衰えていくだけだ。
気持ちの整理が付けば、また歩き出したい、と思っている。

2026年1月4日日曜日

AKIRAがNHK教育テレビでやっていた

 AKIRA (1988年の映画) - Wikipedia


正月の番組で、なんとNHK、しかも教育テレビで「AKIRA(1988年)」をやっていた。
この映画は、今まで何回見たことであろう。始めて見たのが1990年頃だっただろうと思う。
1980年当時の社会的雰囲気がリアルで、当時はかなり衝撃を受けた。
暴力やグロテスクな描写も含むのでPG12指定となっているが、作者の大友克洋氏は「リアリティーにこだわった」と言う。
日本でよりも、海外で評価が高く、この作品が「時代の先を行っていた」ことがわかる。
公開から38年も経過しているが、今見ても面白い。
実際に、最初は以前に何回も見た作品だったので、最後まで見るつもりはなかったのだが、いつの間にか画面にくぎ付けになってしまった。
非常に手間のかかった、人間の力が生み出した本物のアニメーションである。
CGは一部にあるらしいが、どこにあるのかわからない。
それほど、リアリティーにこだわって、丁寧に仕上げられた作品だ。
それが評価されて一つの「芸術作品」として、NHKが放送を決めたとしたら、その判断は正しいと言えると思う。
また、今回のテレビ放映に際して、たぶんデジタルリマスターか何かをしてあるのであろう。画面が明るくなっており、テレビ画面としては見やすかった。
まあ、昔の独特の「暗さ」「ノイズ」を含んだ画面も、私は好きであるが。

この作品のAKIRAという少年は「鉄人28号」のオマージュらしいが、普通の少年だ。過去にどんな力を発揮したのかはわからないが、それがおそらく第二次大戦前の、軍国主義のイメージに重ねられていることは、雰囲気としてわかる。
腐敗した政治を批判する軍人が、クーデターを決行するシーンは、まるで2.26事件や5.15事件を彷彿とさせる。

おそらく、AKIRAという存在は、その戦争を起させた「無意識的エネルギー」の事かもしれない。それが東京オリンピックのスタジアムの近くに「冷凍保存」されていることも、それのメタファーなのかもしれない。

AKIRAは徹底的に調査され、封印された。それを復活させようとしている軍人、そして実際に社会的アウトサイダーの暴走族の少年の体を借りて復活した、その「力」がとても不気味だ。
最後の結末は、非常に考えさせられるものである。

その力は「ナショナリズム」なのか、あるいはそれを超えた「なにか」なのか。
それを取り巻く人間たちの動きは、日本人の心の深層に流れているものに、一致しているのではないか?
また、この作品が海外での評価が高いことは、日本のように、その領域が「封印」されてしまっている国民以外の国民が、何らかの共感を得た、ということでもある。