2021年1月31日日曜日

「関係ない」存在はありえない

 

大地や海、山の中に遊ぶようになってから、わかった事は多い。
いままで同じであったと思っていたものが、同じでないことがわかったり、
お互いに関係ない、と思っていたことが、実は深い関係を持っていたりする。

石は山から転がり落ちて、海に行く。
その間に溶けて丸くなる。
水に溶けた鉱物が栄養素となり、地下水に入ったり、動植物の栄養源となったりする。

これらはパソコンの前でプログラムを書いていたころには、考えもしなかったことだ。
すべてが当たり前だ、と思っていた。
しかし、環境が私たちを生かしてくれている、それも微妙なバランスが生み出すものの力で、生命が支えられている、ということを知った時、大自然に対する感謝の念を感ぜざるを得ないのである。

海岸に転がる石の中には、何一つ同じものは無い。
ちょうど、私たち人間、動物、植物も、どれも同じ存在ではないように。
その、かけがえのない唯一の存在が、複雑な関係の中で「存在」しているように見える。

ただ、そのバランスが崩れ去った時、これらの存在がずっと存在し続けることは出来ないだろう。
お互いが、お互いと複雑な関係を持っており、何一つ関係のない存在はないのだ。
人間が「科学」なる知識で、自分たちの都合の良いような環境をつくりだすのも、それも実は大きな視点からすれば自然の営みの一つでしかない。
そしてバランスを崩すことによる反作用で、自然からの制裁を受けたとしても、それは人間の宿命というべきものだ。
別に嘆かわしい事でも、悲しむべきことでもないだろう。
自然とはそれほど大きくて、すべてを包み込む存在。
実は「科学」を生み出しているものも、自然の中の一部を占める人間が、自然の力で生み出しているものに過ぎない。
アインシュタインのような科学者でも、自然の力で生み出された食事を摂取し、それを排泄していたであろう。
原子力を生み出すウラン鉱石も、自然の中の石ころに過ぎない。
石油にしたって、100%人間が合成したものではない。
何か自然物を科学的に変化させて、「作った」と言っているだけだ。

よく「そんなの関係ない」「知らないよ」という言葉を聞く。
実際には、世界中にある存在の中で、「関係のない」存在というものはないのだ。

私だけが独立している、私だけで存在している、というものはどこにもない。
なぜなら、すべてがこの宇宙の力に関係を持っているからである。
それが無いという存在を勝手に作り出すことは、自然の摂理に反することである。

2021年1月29日金曜日

石の表情

 石の表情、難しいね。
モニターによっても見え方が全然違うし、現像の仕方によっても全然別物になってしまう。
美しく見えるためには、”フォトラ”が必要なのかな。







今日は暴風雪

 

2021/01/26 境海岸にて

今日はこの間からの穏やかな気候とは打って変わって、北陸地方は暴風雪。
1月は急に天気が「晴れ」から「強風」になって雪が降ってくるパターンが多いね。

前回の雪は交通が完全にストップしてしまうほど、ひどかった。
けんめいに除雪しておられるにもかかわらず、なかなか除雪が追い付かないほどの急な降雪だったのだ。

今日みたいな天気だと、海岸は強風、大しけになり、近づく事すら危険な状態になる。
低気圧が去った後でもしばらくは「寄り回り波」という、うねりを伴った高波が押し寄せる。
たとえ晴れたとしても、日本海特有の、この波には気をつけないといけない。
これが発生するのは、北西の方の海で低気圧が発達して高波を起こすからだ。
波の伝わるスピードが遅いために、到達時間がずれる。これが「晴天の方が危険」と言われる寄り回り波の原因である。
今の時期は特に危険で、波が市振駅の構内に達したり、入善の方の海岸壁を越えて町まで到達した事もある。

大陸から吹いてくる冷たい季節風は、多量の雪をもたらす。
これが日本の豊かな水資源を支えている一面もあるので、大変だけど仕方がない、とも言える。

これはひすいなのか?

どうでも良いのだけれど、こんな石はひすいなのかな?
偶然目にしたサイトで、これによく似た石をひすい扱いしていたので。
これも、あまり良い石ではないけれど。
 
青みがかった石に、一部ライムグリーン。
ロディン岩だろうな。

とにかくサビがたくさん。

ロディンの緑には見えない

2021年1月28日木曜日

石のいい写真を撮るのは難しいな

せっかくきれいな石を拾ったのだから、デジイチで撮って、PhotoShopでRAW現像かけてやればきれいに写るかな、と思いやってみるが、いつも通り。
宝石の場合は露光量を上げよ、とか書いてあるが、+0.3ぐらいにしてもどうもイマイチ。
iPhoneの写真のほうがまだまし、という結果になる。

雪のような白地にアップルグリーンの色がにじんできれいな石なのだが。
人間の目にはとてもきれいに見える。





2021年1月27日水曜日

私流ひすい判定法

 

宝石質のひすい。こんなのは1年に1回拾えれば良いほうだ

両方ひすいなのだが、まったく違う石に見える

「野生の思考」的、私流のひすい観を書いてみよう。

① 形、色、結晶はバラバラに見ていては意味をなさない


「丸い石はひすいでない」
「ひすいとは角張った石である」
「結晶が確認できないとひすいではない」
「比重が3以上ないとひすいではない」

これらは必ずしもひすいを判定する際に決定的な要因とはならない。
確かに鉱物学的には、ひすい輝石の比重は3.22-3.3ぐらいである。
しかし、角閃石、ロディン岩の比重も3以上ある。
結晶質の石はほぼ比重が3以上あるのだ。
では、何を根拠にひすいを判断すればよいのだろうか?

それは、上記の要素を総合・統一的に見なければならない。
ひすいとは上記の要素が複雑に入り混じった存在である。
敢えて言えば、その全体が「美しさ」を持っていなければならない。
探索行動は「経験的演繹」によらなければならない。

② 表面が荒れているか、滑らかかも意味をなさない。


表面が荒れている石もかなりある。
「つるつるだから」ひすいである、ということはない。

③ ひすいは周りの石との関係性の中で浮かび上がる


最後に、ひすいが落ちていた場所の周りが結構重要である。
ひすいは周囲の環境の中で、その場所を自然の力によって定められる。
落ちている場所は、だいたい決まっている。
この石があるところには、だいたいあるなという石はある。
それも経験的推論によるしかない。

ひすいは色も、形もばらばらである。決して教科書通りに探せば見つかるというものではない。
海や大地の発するメッセージを受け取ることが肝要である。
その場の環境に一体化するというか。
言葉では説明できないが、ともかく自然に対する感謝の念、畏敬の念を持てばそこには別の世界が開けている。
ひすい拾いは、自然とのコミュニケーションである。

2021年1月26日火曜日

境海岸 全集中

今日は境海岸でひすい。
ここ以外には行かないぞ、と「全集中」モードで歩いた。
結果はどうだろう?
ひすいなのかどうかは分からないけど、「この色なら翡翠でしょ」というのが一つあった。
あとは、どうかなあ?
冬の晴れ間で海岸はにぎわっていた。

海は穏やか

海藻が付いている所は、滑りやすい

もうすでに足跡がたくさん。テトラの裏をよく探す

白鳥山が真っ白だ

大鷲山もかなり雪がありそうだ

境川まで歩いてきた。宮崎から4km近くあるかな

ここの景色が好きだ

勝山が見える。県境は越えない

県境の標識。向こうは新潟県

親不知方面

終始好天。汗をかくくらい、温かかった

今日拾った石ころ。左上がひすいじゃないかと思った石。
右上、きれいだけどロディン岩。
下左、角閃石。
下中、石英だろう。
下右、オンファスかと思ったが、緑泥岩っぽいね。

これは色がひすいだな。扁平な「飛び翡翠」というやつかな。結晶がきれいに見えるもの。

ちょっと透明すぎるので、石英かもしれないが、この色で石英はありえないだろう。

これは角閃石が裏についている

金山谷系じゃないか、と思った石。あとから見てみると、狐石のように見えないでもない。いずれにせよ、あまりいい石ではなさそうだ。


2021年1月25日月曜日

人間の手の加わっていない場所こそが大切

 


私が1日も2日も歩き通して、山に行くのは「人間の手の加わっていない場所」を見に行くためである。
人間はそういう場所を「荒地」「山林」と言う。

反対に、幾何学的な線、面、垂線で「手を加えてある」場所、人間が居住できるようになった場所を「居住空間」と言う。
そのような人間の「居住空間」は、見た目が平板で、動き回る時に何の不都合もない。
自動車も走り、電車も走る。
インターネット回線があり、食糧、水もある。
「山林」にはこれらのものが一切ない。

だからといって、これらの「山林」は不要なものだろうか?たしかに人間にとっては不便なので、なるべくこういう場所はないに越したことはない、だろう。
人間は不要なもの、金にならないものを、必要なもの、金になるもの、に変換している存在。
要するに、「人間の側」に取り込む性質を最大限に発揮して今までやってきた。
これは太古の昔から基本的に同じである。

これらは「山林」を減らしてきた。
しかし最近では都市に人口が集中し、却って山林が増える現象も起こしているが。
だがブラジルなどでは、熱帯雨林が農地にされたりして、世界全体で見れば山林は減っているであろう。
おまけに温暖化の影響で山火事などが多発している。

日本では人間の手の加わっていない場所がまた増えてきているような気がする。
一旦農地に開発されたものの、また元の山林に戻っている場所が増えてきた。
それはそれでよいことだと思う。
どんどん都市に人口が集中している。
行きたい人は行けばよい。
だが、私にとってはそこに魅力のあるものは何もない。
どうせ金と名誉と欲を専門的に求める人々しかいない。

これから都市以外では荒れ果てて不要になった場所が、もっと増えてくるだろう。
そういう場所は人間以外の生物が生育する場所となる。
この「無駄」な場所こそが、大切だ。

なぜ大切かって?
この場所が無くなれば、人間ばかりの世界になるからだ。
そんな人間ばかり居ては面白くないからだ。

2021年1月24日日曜日

博士ちゃんで「龍護の神」が紹介されたのか

龍護の尾根の石


やたらこのブログのアクセス数が上がってるな、と思ったらテレ朝の番組「博士ちゃん(サンドウィッチマンや芦田愛菜が出ているらしい)」で、糸魚川真柏の話が紹介されたらしい。

番組は見ていない(その存在すら知らなかった)が、何でも糸魚川真柏はまだ存在する可能性がある、という話だったらしい。
うーん。確かにまだある可能性はあると思うが、戦前から行われた乱獲のために、あったとしてもごく小さな苗しかないだろう。それも、ほんとうに少数しか無いと思う。糸魚川真柏は成長にとんでもなく長い時間がかかるからだ。

こんな木は、もしあったとしても特別天然記念物ものだろうな。

それに、この場所は「ユネスコ世界ジオパーク」の範囲内であり、どんな鉱物、動植物も採取してはならない。これらの自然遺産は、自然の中にあってこそ意味があるもの。人間のあさましい金銭欲の犠牲になってはならないものだ。もしも傷つけたりすれば、それこそ「祟り」があることは間違いない。それ自体生きている「神」と言えるほどの存在だ。人間の庭の飾りにするなんて、御門違いも甚だしいというものだ。

どうしても糸魚川真柏が欲しければ、麓の糸魚川の街に行って、育苗された幼木を手にいれることは可能だ。これだと10000円ほどで、そこそこのものを買えるだろう。

こんな厳しい環境の中で、何千年もの間、風雪に耐えて生育している植物は、それだけで見るものに勇気を与えてくれるだろう。大切にして後々まで伝えて行かなければならない、と思う。

明星山の貴重な自然遺産は日本の宝である。これらの宝を大切にすることを忘れたら、それこそ、日本の国が滅んでしまう、と思う。

雪山で防水対策を忘れてはいけない

 


山の雪は、標高が高い分、軽いだろうと思ってはいけない。
最近の地球温暖化の影響もあるのか、山の雪の性質が違ってきているように感じる。

気温は確かに低い。しかし、雪は湿っている。
そのため、スノーシューの裏、靴、スパッツに付く雪がやたらと多いのだ。
しかも気温は普通に低いので、これが氷の様に固まってしまう。
歩くたびに、重りの様になっていく。これは今まで感じたこともない異様な感覚だ。
さらに悪い事に、雪の中をかき分けると、溶けてウエアがすぐに濡れる。

今回は”雪が軽い”という思い込みで、防水対策を十分にしなかった。
このため、歩くたびに濡れ、新雪にまといつかれた。

昔なら今の時期、標高が500mを超えればある程度雪は軽かった。
ましてや新雪が付着することなどなかった。
最近は明らかに様子が違う。
十分に防水スプレーをかけて行く必要があると思った。

2021年1月22日金曜日

雪山 重すぎる装備を軽量化する

 


雪山装備はかなり難しい。テント泊をする場合は、かなり重量が増えるだろうが、私は雪山で泊まれるほど技術は無い。なので、日帰り装備となる。

最低限必要な、アイゼン、ピッケル等は重くても持っていかなければならない。
もしも凍結していたら、それこそどうしようもなくなる。行動不能だけには決してなってはいけない。
あと、ガスは必須。防寒着も一枚多めに持っていかなければならない。
防寒着も出来るだけ重量がかさまず、しかも温かいものを用意しなければならない。
水と食料は当然ながら持っていかなければならない。
これだけ持っていけば、どれだけ軽くても7kgぐらいにはなるだろう。

そしてこの中で削ることが出来るものは、何かを考える。
三角巾、傘、替えの靴ひも、カイロ。
刃物、缶コーヒー、ペットボトル…

その中で「何が本当に必要なのか」考える。そしてその「最大公約数」を見つける。
冬山の場合、水は雪を溶かして作れる。
しかしながら、行動しながら水は作れない。1ℓ程度は持って行った方が便利。
当然日帰りになるので、行動食を多めに用意しておいた方が良い。昼食はなるべく削り、非常食としてアルファ米を持っていく。時間があれば、コンロを使えるが、普通私は火を焚かない。これはあくまで「非常時」のための装備だ。
いろいろ考えていると、重量がかさむ…
1gでも少なく、かつ、必要な装備を削らないパッキングにするためには、十分時間をかける必要があるのだ。

2021年1月21日木曜日

少しずつ体を動かし始める


ニュースを見れば、朝から晩までコロナコロナばかりなので「こんなことがいつまで続くのか」と思っている。
東京は毎日1000人以上感染者。
経済はずだぼろ。

自粛しなければならないことは百も承知だが、あまりにも体を動かさないことが増えると、かえって健康を害するのではないか。
条件の良いときに、自分の住んでいる近くの山をスノーシューを履いて歩くぐらいだったら、良いのではないか。
どうせ人間は歩いていない。居るのは山の動物たちぐらいだ。

そう思って、昨日、今日と「自粛の禁」を破ってしまった。

体が鈍っているので、少し動いただけで汗が噴き出す。
特に今日は今冬で最も気温が低かったそうだ。
しかしそれでも滝のような汗をかいてしまった。

体は心地よい疲れだ。
ノートレース、無人の極寒の山を楽しめた。

冬山5回目のチャレンジ それでも頂上に行けない白木峰

今日は5回目のチャレンジとなる冬の「白木峰」へ。
この山は夏は何回も登っているが、冬はほんとうに登らせてくれない。
行った時の条件が悪い事が多いのか。

最初は、猛吹雪で撤退。その次は雨が降ってきて撤退。その次は小白木経由で行こうとしたが、上部で撤退。前回は8合目までで、これも雪が深すぎていけなかった。

今度こそ、と思いチャレンジ。
しかし、今回はモフモフの新雪のラッセル。3時間ラッセルして、頂上尾根に取りついたところで、雪が深すぎ、上まではとても行けないと判断し撤退。

山スキーの方はけっこう行っているようだが、こんな山の頂上まで行けることが不思議だ。
超人的な体力が必要だと思う。標高差は1000mほどと、金剛堂山とたいして変わらないのに、なぜか行けない。不思議なことだ、と思う。

しかしながら、今までははっきり分からなかった冬道を確認できたことが収穫だ。
頂上尾根は何回か通っているので、今回そこに行ける道が分かった。
次回は条件の良いときにリベンジすることにしよう。


ルート解説。地理院地図(https://maps.gsi.go.jp/)を加工して使用。

最終到達地点。ここまでの単独ラッセルのつらいこと。
頂上に至る尾根なのだが、もちろんノートレース
途方に暮れて、下山開始。もう登る体力が無い
仁王山
上の方に来れば、もっと雪が硬くなってくると思っていたのに
林道を横切るところ。雪は多くはないのだが、新雪の量がやたら多い
杉林の中は少し歩きやすい
ここもけっこう傾斜がある
下山してきた。金剛堂山がきれい
湿った、重く、深く沈む雪。足は5kgぐらいのアレイを付けて歩いている感覚
モフモフの新雪
この小屋がとりつき口の目印。ここからもう少し行くと、上の方に行く林道があるので、そこから登ることがわかった
6月までこの道は通行止め、って誰が通るんや
くたくたに疲れて下山