2023年1月25日水曜日

集中すること

 

山に登ったり、海岸を歩いたりしていると、自然と「頭の中がからっぽ」になる。
巷では「何にも考えずにぼーっと過ごす時間も大切」とよく言われているが、故意にこれを実践すると「何も考えないことを考える」ということになりがちだ。
意識して「何も考えないようにするぞ」と思ってしまうと、そのこと自体を考えていることになってしまう。
そうではなくて、本当に考えないというのは「何かひとつのことだけを単調に繰り返す」ということではないだろうか?
実際山を歩いていると、「歩くこと」以外の事を考えると危険だ。
ぼーっとしていれば、転倒したり滑落したりする。
自然と「歩くこと」に対して必死になる。
特に山頂から下りてくるときに、そのことを強く感じる。
同様にして、例えば仕事をする時なども「目の前にある作業に集中する」ことで、同じような効果があるのではないだろうか?
一点集中すると、そのものにたいして必死になり、自然と「頭の中がからっぽ」になる。
同時になんともいえない満足感を感じられる。
日常生活の中で少しでも「集中すること」を取り入れると、随分と人生が豊かになると思うのだ。
これは別に山歩きをしたりひすい拾いをすることによってだけ「集中」が生まれることを意味しない。確かにそれらの行いを通じてそれに気が付くことはあるが。
毎日の生活の中で実践できるし、その気になればだれでもできることでもある。
人生を充実して生きるか、ただ散漫な心理状態で過ごすか。
それは各人の心の持ちようだと思う。

2023年1月14日土曜日

もう春か?


この間山に登った日くらいから、異常に気温の高い日が続いている。
以前は気温が高い、と言われても「感覚」ではわかりにくかった。
しかし今年ははっきり「感覚」で分かるくらい、気温が高い。

いつもより1か月から2か月、季節の歩みが早い。
第一、「大寒」なのに気温が15度を上回るなんて。
いつもの冬ならば、平均気温は一桁以下だ。
大雪が降り、わずかに晴れ間が顔を覗かす程度のはずだ。
それが融雪し、あっという間に雪が消滅してしまった。
雪の代わりに雨が降っている。どことなく、春先の雨のように。
このまま行けば、今年の夏は45度近くになるのではないだろうか?

ニュースによれば、石油高騰の影響で石炭の消費量が増え、さらに温暖化に拍車がかかっているという。
私はそうは思わない。
気温上昇の要素は、かなり昔からどんどん蓄積されてきており、近年で急に変化したというわけではない。
したがって急に電気自動車を増やしたところで、なんの効果もない。

気候変動は地球規模で起こっており、もはや止められない。
行きつくところまで、行くだろう。

2023年1月11日水曜日

高落場山(1122m) 毎年恒例の初登り

 毎年恒例の高落場山初登りに行ってきた。
本日は抜けるような快晴で、1月とは思えないような天気であった。
毎年、もふもふの雪に苦しむのだが、今回はかなり先行トレースがあり、少し楽であった。
山頂は一番乗りであったが、疲れてきて下山はゆっくりした。
しかしいつも通りの絶景で、11年ほど毎年登っているが、いつもすばらしいと思う。

霧氷の森

トレースしっかりあり

山頂から三ヶ辻山、人形山。空気がいつになくクリア

白山が真正面に。今年もよろしくお願いいたします。

医王山方面

薬師岳

立山

手前の森も雰囲気あるね


大笠山

今日の霧氷はとても美しいね


積雪量は1mぐらいかな?いつもより幾分少なく感じる。

急登のところから白山

砺波平野


金剛堂山



高落場山全景

下山時のスノーステーションの所。いつになく雪が少ない。


2023年1月6日金曜日

無意識は意識されないから無意識


 この間観た『千年女優』の監督、故今敏はやはり人間の「無意識」の世界に関心を持っていたらしく、カールグスターフ・ユングの論文を読んだこともあるらしい。
そのころ平沢進の音楽にも触れて感激し、それ以来、平沢の音楽にあわせて映像を作るようになったとも。

そうか、ユングか。
私も大学に入りたてのころ、教育原理か何かの講義でユングを知り、『ユング選集』『原型論』などを読みふけった。
ユングはフロイトの弟子であるが、師匠と意見が対立し、「分析心理学」を創始した。
内容はとても「神話的」で、そのためかオカルトマニアの人からの受けが結構よかったという。しかし本人はそれを嫌っていたようだ。実際自分の研究を進めていった結果、たまたまオカルトに近いものになってしまっただけだろう、と思われる。しかしながら最初期の論文に『心霊現象の心理と病理』などがあるが、そういうものを扱ったのは事実である。

フロイトが発見した「無意識」の世界をどのように解釈するか。ユング当時の思想界はそういう方向を向いていたのは確かで、人間心理の中の「未知の領域」に非常な関心を示した時代でもあった。

いろいろ言われるが、そういう「無意識」の世界に近づくことは危険だ。
なぜなら普段意識されていないか、決して意識されていないのは、それなりの理由があってそうなっているわけであって、普段生活する時には関係のないことだ。
人間がとんでもないストレスやピンチ、病気などに襲われた時、はじめてその領域が意識の上に現れる。
普通は知らなくてもよいし、なるべくなら見たくない領域であるはずだ。

しかしユングの時代には、それが発見されたばかりであった。
いろいろな社会の背景があるのであろうが、それが発見された以上、人間は「知りたい」と思ってしまう。それが現在まで続く心理学やイデオロギーや新しい文化の流れを作ってきたわけである。

それらは人間の心理の奥底にある「アーカイブ」のようなもので、めったに開けない「タイムカプセル」のようなものだ。100年に一度とか、そういう頻度でしか開けることはないだろう。
それをむやみに開くことは、個人の心のバランスを崩し、社会の混乱を招くことになりかねない。
事実、フロイト以降の世界は混とんとしてしまった。

フロイトは「開けてはいけない箱」を開いてしまったのだろうか?
それとも、彼が世界に登場した、ということに、偶然ならざる意味があったのだろうか?

無意識は意識されないから無意識なのである。
何度も言うが、普通に生活したいのであれば、なるべくかかわらぬがよい。

2023年1月4日水曜日

新年にみた映画

千年女優

2001年のアニメーション映画(もう22年も前の作品なんですね)。
今は亡き天才アニメーター今敏の作品の中でも、最高傑作といわれている。
ただ、見る人によっては評価が分かれる。
「意味が分からなくてつまらなかった」「ストーリーが単純」とか言う人もある。
まあ、映画の評価なんて、ひとそれぞれだから。

見る人が良い、と思える作品が良いのである。
あたかも、海岸の石ころのように。
私のみたところでは、この作品は最高の「ひすい」である。
とくにこの作品は、あらゆるアニメーション作品のなかでも最もすばらしいものである。

今敏自身によるインタビューへの回答が残されている(こちらをどうぞ)
これによれば『千年女優』は日本映画に対するオマージュではない。
だまし絵的手法がこの映画のカギになるのだが、今さん自身によれば日本の歴史というものを、実感するための表現なのだという。
大きなテーマであり、どのような表現手法を使おうとも、正確にその実像を表現することは難しい。しかし、過去のことである、という理由だろうか、特定の時代の場面を重層的に配置し、素早く切り替えることで、「過去」という得体のしれないものを、非常にうまく表現している。
人間にとって、過去はそもそも断片的であり、その方が、現在からみるとよほどリアルな過去なのだ。だからこの映画を見ていても、あまり違和感はなく、「現在から感じる過去」というのは、素直にみれば頭の中でこのように、重層的な構造になっているのではないか、と思えてしまうのだ。

「歴史」は一直線に進むものではなく、繰り返されたり、急に変化したりする。
それが「過去にあったこと」に関係して生み出されている。
人間の深層心理は、そのような構造をしている。
過去の積み重なったものが現在である。そしてそれは表面に浮かび上がったり、消えたりする。まるで熱湯を入れた紅茶の葉が、浮かんだり沈んだりするように。
そしてそれが現在を作っている。
それは人間という存在の、限界なのだろうか?
事実、この映画の中には不気味な老婆が出てきて、それをあざ笑う。

また劇中に出てくる「かぎ」の意味は深い。
あの「かぎ」は、大切なものを開けるための「かぎ」らしいが、結局それは最後まで使われない。一体何を開けるための「かぎ」だったのだろうか?

今敏さんはこの作品を作った9年後、すい臓がんで46歳の生涯を閉じられた。
ほんとうに残念なことである。ご本人もまだまだ仕事をしたかったようだ。
しかし、自然の理というか、そういうものは、彼が仕事を続けることを許さなかった。
もしご存命ならば、どんな世界を見せてくれていたことだろうか?

2023年1月3日火曜日

新年のご挨拶

 


新年あけましておめでとうございます。
2018年から始まったこのブログも、6年目に入るわけだが、この間に第二次世界大戦以来最大の危機と言われる「新型コロナウイルスの大流行」が含まれてしまった。
今年こそは、この惨禍が終息することを祈らずにはいられない。
しかしながら、はっきり「終わった」というのではなく、弱体化したウイルスと「共存」する、という方向での終息になりそうな気配である。
この病気は「人によっては」重症化する。一方でこのウイルスに強い人たちもいる。
はっきりしない、生物か物質かがあいまいな存在が、人間社会を翻弄し続けている。

このブログでも新型コロナに対する意見を書いてきたが、結局は何も決定的なことは述べられなかった。
ただ、このウイルスが現れた背景には、急激な温暖化に伴う自然環境の変化、社会のグローバル化によって、人々の行き来が激しくなったことがあるのではないか、と推測できる。
また、「大自然のホメオスタシス(恒常性の維持)」の力によって、増加した人類を減少させようという力が働いているのかもしれない、とも思った。
人間が小宇宙であるとすれば、それを含む大宇宙にも同じように「免疫力」が存在していてもおかしくないだろう。いや、むしろあって当然ではないか?

今年はいったいどんな年になるだろうか。
大きな「自然」の姿を観察しに、今年もしばしば出かけることであろう。
それによってわが身のあり方を反省し、どのように生きていくべきなのかを模索する旅は続くであろう。

皆さまにとっても、今年が良い年でありますように。