2021年1月11日月曜日

神話論理的「開山伝説」分析

 


神話論理的に有名な名山の「開山伝説」を読んでみると、かなり「共時的に」重なり合う部分がある。
記号化するためにまず「神話素」を取り出してみる。

対象となる山は、それぞれ

富士山:F
立山:T
白山:H
大山:D
薬師岳:Y

としてみる。

「動物素」は、鷲、狼、馬、龍
「宗教素」は、イザナミノミコト、地蔵菩薩、阿弥陀如来、十一面観音、薬師如来
がこれらの神話の中から得られる。

神話としてほとんど同じ構造を持つのは、TとDである。
また、全体に共通してみられる要素は神仏による「導き」である。
これらによって、一般人は宗教的世界に加入する。

Fは足の白い黒馬が、聖徳太子を山頂まで導く
Dでは金色の狼が導く
Tでは白い鷲が導く
Hでは夢に現れたイザナミノミコトが導く

Dでは行者を金色の狼が地蔵菩薩の所に導く
Tでは白鷲が行者を阿弥陀仏の元に導く
Yでは行者の夢に現れた薬師如来が山頂まで導く
Hは直接行者をイニシエーションに導き、その結果池から九頭の龍が現れる。

ほとんどが夢告か動物によって山頂まで導かれる。
動物を殺生する、という罪の要素を持っているのがTとDである。
夢告の場合は、直接神聖な存在が山頂まで行者を導くのである。

より山頂までの距離が近いのはYとHであり、直接的イニシエーションを受けている。
「動物素」が神聖な存在の役割を果たす場合、イニシエーションはより間接的であると言える。

だいたいこれによって浮かび上がってくるのは、何らかの力が行者を山頂に導く物語である。
TとDの神話のあらすじは同じであり、動物と神聖な存在が入れ替わっているだけである。

これらの神話において、動物素が現れるものは古い「アニミズム」的な信仰が下敷きになっている可能性がある。
南アメリカの神話においても、動物は「記号」の役割をしている。
開山伝説に現れる動物たちは、これらの古い構造に関係していると私は思う。