大地や海、山の中に遊ぶようになってから、わかった事は多い。
いままで同じであったと思っていたものが、同じでないことがわかったり、
お互いに関係ない、と思っていたことが、実は深い関係を持っていたりする。
石は山から転がり落ちて、海に行く。
その間に溶けて丸くなる。
水に溶けた鉱物が栄養素となり、地下水に入ったり、動植物の栄養源となったりする。
これらはパソコンの前でプログラムを書いていたころには、考えもしなかったことだ。
すべてが当たり前だ、と思っていた。
しかし、環境が私たちを生かしてくれている、それも微妙なバランスが生み出すものの力で、生命が支えられている、ということを知った時、大自然に対する感謝の念を感ぜざるを得ないのである。
海岸に転がる石の中には、何一つ同じものは無い。
ちょうど、私たち人間、動物、植物も、どれも同じ存在ではないように。
その、かけがえのない唯一の存在が、複雑な関係の中で「存在」しているように見える。
ただ、そのバランスが崩れ去った時、これらの存在がずっと存在し続けることは出来ないだろう。
お互いが、お互いと複雑な関係を持っており、何一つ関係のない存在はないのだ。
人間が「科学」なる知識で、自分たちの都合の良いような環境をつくりだすのも、それも実は大きな視点からすれば自然の営みの一つでしかない。
そしてバランスを崩すことによる反作用で、自然からの制裁を受けたとしても、それは人間の宿命というべきものだ。
別に嘆かわしい事でも、悲しむべきことでもないだろう。
自然とはそれほど大きくて、すべてを包み込む存在。
実は「科学」を生み出しているものも、自然の中の一部を占める人間が、自然の力で生み出しているものに過ぎない。
アインシュタインのような科学者でも、自然の力で生み出された食事を摂取し、それを排泄していたであろう。
原子力を生み出すウラン鉱石も、自然の中の石ころに過ぎない。
石油にしたって、100%人間が合成したものではない。
何か自然物を科学的に変化させて、「作った」と言っているだけだ。
よく「そんなの関係ない」「知らないよ」という言葉を聞く。
実際には、世界中にある存在の中で、「関係のない」存在というものはないのだ。
私だけが独立している、私だけで存在している、というものはどこにもない。
なぜなら、すべてがこの宇宙の力に関係を持っているからである。
それが無いという存在を勝手に作り出すことは、自然の摂理に反することである。