たくさんの石の中から、ひすいだけを選ぼうとするのが、ひすい探しだ。
しかし、「ひすいでない」として捨てた石も、実のところ、ひすいとたいして成分は変わらないのだ、ということを知った。
だとすれば、ひすいを選ぶ、という行為が、どれだけの意味を持っているのだろうか?
どの石も、ひすいの一部分を成す元素を含んでいる。
本質的に見れば、たいした違いは無い。
大きな山も、庭の石も、コンクリートも、砂場の砂も。
ひすいが貴い石だとすれば、すべての石ころも貴いのではないだろうか?
それらから生まれた私たちも、植物も、動物も、宇宙も。
すべてが貴い。
貴くないものは、何一つない。