「もしかしたら、高品質のひすいなのか」と期待していたが、乾いてくるとはずれだったことがわかった。
この「ガラス質」が、石英とひすいは共通する部分なのである。
あまりにも透明な石は、ほぼひすいではない。もしあったとしても非常に見つけにくいと思う。
たいてい、そんな石は拾われてしまった後だ。
期待すると拾えない。長時間の石拾いで疲労してくると、石英でもロディン岩でも、ひすいに見えてくるものである。あまり長時間やりすぎると、どこにでもある石がひすいに見えてくる。
「きつね石」とはよく言ったものだ。
つまるところ、自分の眼が自分を欺いているのである。
欲に駆られて拾うと、失敗ばかりする。