石を拾うとき、まず大事なのが「きれいな石を拾うこと」だとは前にも書いたと思う。
その石がどのような石であっても良い。鉱物学的な価値なんてものは人間が後から考えだした虚構に過ぎない。そういうものに惑わされると「本当に美しい存在」を見過ごしてしまう。
自分の美的感覚でも、直観でも、何でも良い、そういうものを大切にすると、いい石拾いができる。
その存在自体が放つオーラというか、存在感というか。それを感じることがたいせつである。
下に紹介するのは、そういう石たちだ。ひすいであるとかないとかは、まったく関係ない。
ほとんどが石英に類するものだと思う。
石というのは、ほとんどケイ素を含まないものはないのだから、それでいいだろう。
わずかな質の違いによって、ごみみたいに捨てられている石をよく見かける。
下の石の中には、翡翠ハンターが捨てていった石も含まれる。
彼らは多分、ひすいの方が大切で「美しさ」なんてどうでもよいのだろう。
大小さまざまな美しい石たち。個性派ぞろいだ。 |
翡翠ハンターが捨てていった石の中にあった、美しい玉髄(カルセドニー。カーネリアンともいう)。光を通すとこんなに美しい。 |
純白の石英。これは浜辺でひときわ異彩を放つ白さだった。こんな白い石が美しくないわけがない。 |
含ザクロ石角閃石片岩だと思う。大きなザクロ石が美しい。 |
紫色の玉髄だと思われる。透過色の美しさはすばらしい。 |
ネフライトではない。多分オンファス輝石というものだろう。この黒と緑のコントラストが美しい。 |
ちいさなカーネリアンだろうと思う。 |
ひすい |
緑玉髄か、アクチノライトか。自分が持っている石の中で、最も緑色が濃いもの。 |
自分が美しいと思うものを拾えたら、それで十分だ。
どんな石でも、それぞれに個性があり、それぞれが貴いのだ。