2020年4月17日金曜日

翡翠の本を読む

新型コロナウイルスが蔓延しており、全国に緊急事態宣言が出されてしまった。
これではどこにも行けないので、せめて写真だけでも見ようと思って、『翡翠』(飯田孝一、2017、亥辰社)という本を注文して読んでみた。
表紙には昔、青海川で採れたという極上質の緑翡翠。
自分の拾ってきた翡翠やネフライトと一緒に撮影してみた。

自分の拾ってきた石と記念撮影(^^; 写真のような石が拾えたらいいのになあ。
まず、広義の翡翠文化は中国で始まった。ただし、そのころは「玉(ぎょく)」と呼ばれていた。
これはネフライトであり、硬玉ひすいとは全く違う石である。
時代とともに、真っ白な玉が好まれるようになり、「白玉」「羊脂玉」などの、脂肪のような、とろんとした味わいの石が特に好まれるようになった。

最初はネフライトを玉としていた中国は、ずっと後になって(17世紀の清の時代)ミャンマーで硬玉が発見されるとその魅力に取りつかれ、だんだん硬玉に移行していった。
清の西太后は特に硬玉を愛し、財政を傾けるほどのめりこんだ。
台湾の故宮博物館にある翡翠のコレクションは、量、質とともに世界で唯一のものである。

翡翠を宝石として扱うのは、中国の文化の影響を受けている地域だけである。
ヨーロッパなどでは、いろいろな石がまじりあって翡翠を構成している、ということもあって、宝石とはみなされなかった。そのため、ダイヤモンド、サファイヤ、ルビーなどの方が圧倒的に好まれる。
東洋の宝石としての世界的地位を確立したのは、中国人が翡翠を好んだからであるといえる。

一方、日本には縄文時代からの最古の硬玉文化が存在した。
紀元前3500年ごろに日本の翡翠文化が生まれたとされているから、世界で一番古い。
中国人が翡翠を見出したのは、それから比べるとごく最近の事に過ぎない。
翡翠はそのために「日本の国石」に選定されている。

縄文国家(越の国)の祭祀集団によって、この石はお祭りなどの際に身に着けられる神秘の石とされていた。
越の国はこの石を海外への贈り物としていたらしく、日本国内だけでなく、韓国でもこの石が発見されている。これらの石は糸魚川産であることが成分分析で証明されている。

翡翠の混じった岩が採取できる宮崎海岸。最近では資源が枯渇してしまって、良いものは全く取れない。

日本の翡翠文化はその後ある時期を境に途絶えてしまった。
昭和時代になって、明星山の下の小滝川の河原で翡翠が再発見される。
少し遅れて青海川の上流の黒姫山の河原で発見される。
両者とも国の天然記念物に指定される。この周辺での石の採取はご法度である。

非常に長い歴史を持つ翡翠文化。
この少し透明な、硬質ガラスのような石は、皇室の宝物にもなっている。

現在でもこの石に魅了される人々が後を絶たないのは、大自然の色である「緑」が、私たちの心を揺さぶるからであろう。
緑は生命の色である。
これから新緑の季節ともなると、山は一面の緑に覆われる。

人類が誕生してから、何百万年もの間、この光景は繰り返されてきた。
そう簡単に滅亡しないと思うが、いかがなものだろうか?

緑の石を眺めるたびに、勇気づけられている。
きっと人類は、コロナなんかに負けない、と。