2020年6月11日木曜日

登山系SNSに書くときに気を付けていること



ヤマレコをやっている時にも感じたことだが、登山系SNSではどうしても情報を「盛る」心理が働いてしまう。
だいだい以下のような傾向に陥ることがある。
  • 標準コースタイムより、どれだけ早く歩けたかを強調する
  • 生命の危機を乗り越えた事を強調する
  • 山がどれだけ美しかったかを強調する
これらに共通するのは「自分の力が強い」ということを宣伝する行為。
登山を重ねることで体力・技術が向上し、さらに難しい山に挑めるようになることは悪いことではないだろう。
それに伴うように風景を楽しめる余裕も出てきたりする。
そうやって「いいね」がたくさん付いたりすると、自分の能力が「承認」されたような錯覚に陥ってしまうことがある。
登山系SNSで厄介なのが、この点だ。結果自分の現在の能力(年齢や技術)を超えた登山を実行に移し、遭難してしまった人を私は知っている。
私が登山系SNSをあまり好きでない理由は、このような苦い経験があるからだ。

YAMAPは少しマシだと思っていたが、それでもそういう傾向が最近出てきているような気がする。
やはり、登山系SNSは皆同じなのかな?
(そういう傾向が顕著にみられた場合、書くのをやめようと思っている)

ヤマレコは、そういう点に気が付いたのか、最近では標準コースタイムに対し、極端に速ければ「とても速い」などの文字を表示するようになっている。
これだと、他の人が見た場合、その記録が参考にすべきものなのかどうか、一目瞭然である。

そして、生命の危機を乗り越えたことを強調することに関しても、そもそも山で生命の危機に遭うことは絶対に避けなければならないことだ。
それは遭難寸前を意味するからだ。
ましてやそれを武勇談として語ることは、誤解を生むことになるから避けるべきだと私は思っている。

以上のような事から、私は登山系SNSに書く時、参考にする時、このようなことに気を付けている。
  • その記録は、楽しいことよりも、苦しいこと、失敗したことを強調して書いているか?
「標準コースタイム」は、山をよく知っている人たちが、無理なく登れる時間を計算して公表しているものである。これに異議を唱えるには、それなりの根拠がなければならない。
根拠が示せないならば、これに異議を唱えることは出来ない。
だから、標準コースタイムより速く歩くことは、危険性が高いということになる。

山は楽しいことよりも苦しいことのほうがずっと多い。
無事に下山するとほっとして、苦しいことの方は忘れてしまう。
そしてその記憶をSNSに上げてしまうので、見た人は「楽しいことばかり」「大した事ないじゃないか」と誤解する。

実際、登山は何かあれば助けを呼ぶことが難しい。人間の住んでいる世界からかなり離れているから。
登山者は常に恐怖、不安、危険と戦っているのだ。
自覚していなくとも、何かがあればそれを自覚させられることになるだろう。