2020年6月26日金曜日

苦しかったのに、なぜまた登山したくなるのか?



新型コロナ自粛後の登山は、体が慣れないためにとりわけ厳しいものがあった。
3月から「Stay Home,Stay Alive」と言われ、十分な運動もできない日が続いた。
この間に筋力は落ち、体重が増え、だんだんと山に登る気力も失せつつあった。

「これでは、いけない」
そう思って、自粛が解除された直後から、また登山を再開した。

なれない体に大きな負荷がかかったのだろう。少し体調を崩した。
しかし、もう少し慣れれば体調が戻ると思い、登山を続けた。
その結果、体調が元のようになりつつある。

人間に足があるのは、歩くためだ。
人間に手があるのは、ものを掴むためだ。
使わなければだんだんと衰えてゆく。
中に力がこもり、よどみ、腐ってゆく。

その「停滞」を解消し、体に「気」を流してやるのが、私の「登山」だ。

登山することで、あらゆる停滞はどこかへ流れてゆく。。。

大自然の中で、だんだん自分と自然の境界が無くなっていく感覚が好きだ。

人間は死んだらどうなるのか?ということに悩んだこともある。
登山するようになってからは、それに悩まなくなった。

「ここ」から生まれて、「ここ」に帰る。
でも、本当は「生まれて」すらいるのだろうか?生まれるとか死ぬとかは、人間の側で作ったものではないか、とすら思えてくる。

圧倒的に大きな山の姿は、写真ではわからない。実際に体験しないと、自然の大きさは分からない。

そして思うのだ。「もしも自然がこの小さな私を消そうと思うならば、一瞬で消えてしまうだろう」と。
そうだとすれば、何でそんな小さなものにこだわるのか、と。

歩く時間が長くなるにつれ、だんだんそんなことを思う暇もなくなる。
足や腰の激痛、それすらも意識しなくなってくる。

ただ歩く。歩く。歩く以外、することが無い。

そのうちに下山する。疲れて眠ってしまう。
そして、また登山したくなる。。。

大変な思いをしたはずなのに、どうしてまた登りたくなるのだろう?
自分でも、よくわからないのだ。