2019年9月28日土曜日

吉沢庄作と僧ヶ岳

黒部市のHPにある吉沢庄作のコラム

黒部市出身の博物学者であり、俳人でもある吉沢庄作は、20代の頃僧ヶ岳に登り、登山に開眼された。

この僧ヶ岳の広大な風衝草原と、目の前に広がる日本海の絶景を見てしまったら、登山にハマるのも無理もないと思う。僧ヶ岳の風景は本当に素晴らしいものだ。

また、この方は黒部峡谷から白馬岳へのルートを拓いた方であり、優れた文筆家であった。
この時の記録は、新聞に掲載され、大きな反響があったという。

この近代登山の偉人、吉沢庄作氏の分骨が「仏が平」にあるというのは知らなかった。

このような素晴らしい場所に眠れるだけで、人生の本望ではないか
生涯登山を愛し、この尾根の上にある剱岳、立山を紹介され続けた。
最後に剱岳に登られた際にこんな俳句を残されている。
老いらくの壮士なおあり秋の岳
ここに言う「岳」とは無論剱岳のことである。
60歳を過ぎて、「もう剱岳に登れるのは最後かな」と思われた時に作られたという。
だが、この俳句には「まだまだ元気で登山を続けたい」という気持ちがこもっているように思う。

俳句の号は「無外(むがい)」。
禅の言葉を集めた『碧巖集』という語録があるが、その中に「大方無外」という言葉が出てくる。
おそらくこれから採られたのだと思う。
意味は「(仏法は)広大無辺である」。
HPにある「我より外に無し」というのは誤った解釈だと思う。
なぜなら、「我」なんて、大自然の中では小さい、小さい!
そんなものは、あるか無いかわからないようなものである。
天候が荒れたり、地震でも起これば一瞬でくだけ散る儚いものである。
登山をしているとこんなちっぽけな「我」にしがみついているのが、ほんとうになさけなくなる。

「無外」。これは広大無辺な大自然の道理=仏法を表している。

この大自然の道理と一体になられたかったからこそ、この「仏が平」の地に眠られることを望まれたのではないだろうか?

わたしは、僧ヶ岳に登ってそう思った。