孔子は、この「玉」には、仁・義・礼・智・信・楽・忠・天・地・徳・道が備わっているので、貴ばれるのだ、という。
内にこもった光を放つヒスイは、どこか上品であるが「おれはヒスイだ!」という自己主張をしないので、発見する事が、極めて困難なのである。
これは私たちが生活する現実社会にもそのまま当てはまるように思う。
海岸の石が一つとして同じものが無いように、人間も誰一人として同じ人はいない。
この中から、本当に優れた人物を見いだすのは、容易なことではないということだ。
世の中は「我こそは本物だ、私が優れた人物だ」と主張する人物であふれている。
インスタグラムやSNSで繰り返される自慢話しを見ていると、ほんとうにうんざりする。
本当に徳の備わった、立派な人物はSNSで自己主張や自己アピールをしないと思う。
ヒスイのような、穏やかな光を放っているだけである。そして誰も気がつかないだろう。
大自然はいろんなことを教えてくれる。
(ある時、孔子の弟子である)子貢が孔子に言いました。
「お尋ね致しますが、君子が玉(ぎょく、軟玉ヒスイのこと)を貴んで、他の宝石を卑しむのは何故でしょうか? 玉は数が少なく、他の宝石は数が多いからでしょうか?」。
すると孔子は言いました。
「玉は数が少ないから貴いのではない。他の宝石は数が多いから卑しむのではない。昔の君子はその徳(人格)を玉に比べられたものだ。
1.温和に潤っていてツヤがある、これは仁の徳である(仁)。
2.緻密で硬いことは、智の徳である(智)。
3.決まり正しくて割れる事がない、これは義の徳である(義)。
4.真っ直ぐなことは落ちるようである、これは礼の徳である(礼)。
5.これを叩けば清らかな音が長く続き、終わりは縫い合わせたようである、これは楽の徳である(楽)。
6.傷は玉のきれいな部分を覆い隠さず、かつ、玉のきれいな部分は傷を覆い隠さない、これは忠の徳である(忠)。
7.真心をおさめ、広く行き渡っている、これは信の徳である(信)。
8.気は白い虹の如くである、これは天の徳である(天)。
9.その精神を山川に見いだす、これは地の徳である(地)。
10.儀式に用いる玉の中でも特に優れている、これが徳の徳である(徳)。
11.天下にこれを貴ばない者はいないのは、道の徳である(道)。
『詩経』に曰く、「わたしは君子を思い出す。暖かいことは玉のようだった」と。だから君子はこれを貴ぶのだ。」
子貢問於孔子曰:「敢問君子玉貴而珉賤,何也?為玉之寡而珉之多歟?」孔子曰:「非為玉之寡故貴之,珉之多故賤之,夫昔者君子比德於玉:溫潤而澤,仁也;縝密以栗,智也;廉而不劌,義也;垂之如墜,禮也;叩之,其聲清越而長,其終則絀然,樂矣;瑕不掩瑜,瑜不掩瑕,忠也;孚尹旁達,信也;氣如白虹,天也;精神見于山川,地也;珪璋特達,德也;天下莫不貴者,道也。《詩》云:『言念君子,溫其如玉。』故君子貴之也。」(孔子家語 第三十六)
この海岸には、おそらく何十億、何百億個もの石があるだろうが、この中からヒスイと呼べる石は6時間探しても1個見つかれば良いほうだと思う。 |
派手でない、上品な色合いなので、極めて発見するのが難しい。まったく初めての人にこれを見つけろというのは酷だろう。 |