2022年5月27日金曜日

失敗に厳しい日本社会


 日本の社会は失敗に厳しい。
何かやって失敗すると、もう立ち上がれない。
支援する仕組みも無い。

一方の欧米では「人間は失敗して当たり前」という意識がある。
Windowsなどは、多分バグ、欠陥だらけで出荷されたのだと思う。
今は誰でも使っているMacintochなども、開発された当初は、非常に欠陥の多い製品だった。
それらに対し、日本製品は「完璧」を求める傾向がある。
欠陥がない製品が日本製のトレードマークであった時代がある。
だが、それらの技術は海外に流出し、今では日本製とほとんど変わらないほどの品質のものが大量に生産できるようになっている。

人間は失敗を恐れていては、新しい「起業」も「創業」もできない。
今の日本で新しい企業がスタートアップしにくいのは、「失敗しても立ち上がるだけのバックアップ体制」がないからだ。
もし「失敗したら終わり」だったら、どうしてそんなリスクに敢えて挑戦するものか?

人間は失敗して当たり前である。
機械じゃないんだもの、当然である。

Windowsなどアメリカの企業が成功しているのは、国の力だけでなく、多様な価値観、文化を受け入れ、そして「失敗しても再び起き上がれる」地盤を、物質的にも、精神的も、もっているからだ。

Windowsは毎月、バグや欠陥を修正するプログラムをインストールする仕組みになっているが、日本製品は「間違いがあってはならない」と思っているため、ほとんどそういうことが無い。