2022年5月29日日曜日

マダニの活動が活発だ



今の時期、山や草むらに入る時は、「マダニ」に気をつけなければならない。
私は、5月の大倉山、6月の明星山でやられたことがある。
両方とも「シュルツェマダニ」という、寒い所を好むマダニ(詳細はここを参照)。

このダニは「ライム病」という厄介な病気のウイルスを持つ。
「フタトゲチマダニ」のようにSFTS(重症熱性血小板減少症候群)のような、激しい症状を示さないものの、死亡例もある病気だ。
どうも「マダニ」は危ないウイルスを持っている者が多い。

ちょうど6月ごろから動きが活発になる。登山のSNSでも「刺された」という報告がけっこう出てきた。
腰ぐらいの高さの藪が危なく、特に笹薮は要注意だ。
よく「笹待ち」と言われるほど、笹の葉の裏が好きらしく、これに触れると刺される。
「ススタケ」を取る人は特に注意しなければならないと思う。

刺された場合、自分で取ってはいけない。
無理につぶすと、ダニの内容物が血液に入り、ウイルスに感染してしまう。
病院に行って取ってもらうしかない。
そのあと、しばらく抗生物質を飲むことになるだろう。

会いたくない、いやな虫だ。
スズメバチの次ぐらいに。

2022年5月28日土曜日

死して行く先は?


 先日、宇宙の姿はどこまでわかっているのか、知りたくて検索していると「宇宙の大規模構造」という項目を見つけた。

今までわかっている宇宙の姿を合成した図である。
それを見て、これは「石の表面に出来る模様」や「ものが破裂した時の残り」に似ている、と思った。「台所に間違えて落とした生卵」から飛び散った内容物にも似ている。
不規則に物体が集まっているが、多く集まっている部分と、少なく集まっている部分がある。


世界の物理法則が同じである、ということは、宇宙の果てに行こうが、同じである、という事である。
これは、我々人間の内部でも同じであるし、海岸に落ちている石ころでも同じである。
森の写真を見ても、よく似ている。木が密集している部分と、何もない部分がある。

これは「この世界における物質の、ありとあらゆるもの」が持っている構造ではないか?
「集まる」「分散する」がありとあらゆるものが持っている性質である。

人間も仮に「集まっている」ならば「生きている」と言われ、「分散する」ならば「死んだ」と言われるに過ぎないのではないか?
従って、我々は死んでも「どこにも行かない」。
この宇宙空間を、漂って、偶然にまた「集合する」のではないか?

2022年5月27日金曜日

中央集権

 


新型コロナの流行は、社会を大きく変えてしまうきっかけになった。
まず分かったことは、コミュニティーというものが、あてにならなかった。
「集まってはいけない」という状況は、それまでの社会の無駄と時代錯誤を暴いた。
そして欧米や新興国で普及している「デジタルによる行政の効率化」が、日本では信じられないくらい遅れていることをはっきりさせた。
いまさらではあるが、日本もようやく重い腰をあげつつある傾向が出てきたように思われる。
躊躇している間に、世界から取り残されてしまったのではあるが。

そして、「無限成長」が神話であることがはっきりした。
日本はこれからスタグフレーションの時代になり、自己責任が強く求められることになる。

簡単に言えば「だれもあてにならない」時代になる。
「自分のことは、自分の責任で」ということを、強く求められる。
今までは周りの人間がなんとかしてくれた。
しかし、今、自分の力で、情報を集め、自分で判断し、助けを求めるなり、申請をするなりしなければならない。それがより強くなってくるだろう。
デジタル化の進展によって、仲介する人間がいなくなってくる。

では「デジタル化」に対応できない人は、どうするのだろうか?
そこを考えていないのが今の日本だ。欧米では、十分にサポートを行っている。

しかし、国家によって個人の情報が完全に掌握される状況は危険な状況でもある。
今まで「国」「地域」「個人」の3段階あった社会が、「国」と「個人」しかないことになってしまう。特に日本人は「個」という概念に乏しいため、「個人」という概念を基本的にはもっていない。
そのような「個人」は常に弱い立場であるから「国」は個人をコマのように、思い通りに操ることができる。
「ビッグブラザー」はAI制御で、国民を細かい部分まで規制するだろう。
規制に逆らうものは、無視される。

規制を受け入れることは、たしかに強制されない。
しかし、受け入れなければ無視されるのだ。
以前はこの「無視」の部分が、「地域」でカバーされていた。
それが無くなるのである。

結局、これは強力な「中央集権」国家を生み出す。
無機質な「国家」が、機械的に政治を行う時代になるだろう。
なんともやるせない未来だが、そういう方向に向かっていると言わざるをえない。

このような「デジタル社会」は、アメリカやヨーロッパが作った。
それを東アジア地域に適用すれば「中国」のような国家になる。
ヨーロッパでは「個」の概念がしっかりあるため、中国のような「中央集権」国家にはなりにくい。

中国は超デジタル国家だ。もとはそうではなかったのであるが、無理やりそうした。
その結果が生み出したのが、今の中国の姿ではないだろうか?

「デジタル社会」は東アジアの土地に合わない。
仕組みや思想が、欧米とはまるで違うからだ。

無理が通れば、道理が引っ込むのである。
これからどのような未来が待ち受けているのだろうかと想像すると、空恐ろしくすらなる。

失敗に厳しい日本社会


 日本の社会は失敗に厳しい。
何かやって失敗すると、もう立ち上がれない。
支援する仕組みも無い。

一方の欧米では「人間は失敗して当たり前」という意識がある。
Windowsなどは、多分バグ、欠陥だらけで出荷されたのだと思う。
今は誰でも使っているMacintochなども、開発された当初は、非常に欠陥の多い製品だった。
それらに対し、日本製品は「完璧」を求める傾向がある。
欠陥がない製品が日本製のトレードマークであった時代がある。
だが、それらの技術は海外に流出し、今では日本製とほとんど変わらないほどの品質のものが大量に生産できるようになっている。

人間は失敗を恐れていては、新しい「起業」も「創業」もできない。
今の日本で新しい企業がスタートアップしにくいのは、「失敗しても立ち上がるだけのバックアップ体制」がないからだ。
もし「失敗したら終わり」だったら、どうしてそんなリスクに敢えて挑戦するものか?

人間は失敗して当たり前である。
機械じゃないんだもの、当然である。

Windowsなどアメリカの企業が成功しているのは、国の力だけでなく、多様な価値観、文化を受け入れ、そして「失敗しても再び起き上がれる」地盤を、物質的にも、精神的も、もっているからだ。

Windowsは毎月、バグや欠陥を修正するプログラムをインストールする仕組みになっているが、日本製品は「間違いがあってはならない」と思っているため、ほとんどそういうことが無い。

2022年5月24日火曜日

「拾わない」ひすい拾いに行ってきた

 いつもなら、「今日はひすいを拾うぞ!」と息巻いて行くひすい拾い。
だんだん回数を重ねて、分かって来たことは、「拾えない」ということ。
拾えないものに集中して、こんな素晴らしい自然環境を見逃すなんて、ばかげていると思った。
だから今回は、ただ潮風に吹かれるためだけに、海岸へ行った。
石はどうだっていい。どうせただの石ころだけだもの。
そんなもの拾って、いったいどうするのだろうか?
実際アクセサリーにもならない、どうにもできないただの石ころだけ。
そんな無数の石ころの中を、初夏の大自然に抱かれつつ、ただ歩いてきた。


市振海岸。

天険親不知の下。栂海新道の起点。オンファス輝石みたいのがたくさんあったが、全部無視。それらは、この風景の一部なのだ。

改めて見ると、ほんとうにいい所だよなあ

3000mの高山から、ここまで山が連なっているのだ。

北アルプスの土台

天気が良くて最高だ

崖を落ちる石清水

勝山下。

改めて見ると、胸のすくような広大な日本海

頚城駒ヶ岳、雨飾山、焼山など

須沢海岸

海岸から、雨飾山が見えていたんだね。今まで石ばっかり見ていて気が付かなかった。

青海黒姫山は、いつもどうり、海岸を見下ろしている。人間の営みを愚かだと思っているかのように。

透明な波打ち際。石が気にならないと、こんなきれいな写真も撮れる

姫川河口から、焼山方面

日差しは強いが、けっこう風があり、寒いぐらいだった。

2022年5月23日月曜日

糸魚川翡翠の人気は高い、けどね。。

 ヤフオク!翡翠原石

ヤフオク!で糸魚川産の翡翠原石の価格を見ると、良い石にはけっこうな値段が付いている。やはり、海岸で拾えなかった人の「現金採取」が多いのだろうか?

最近はシーズンでもあまり拾えないことが多く、希少性が高くなっている。多分拾いつくされてしまったのだろう。特にゴールデンウイークで人出があった後の海岸には、キツネ石すら落ちていない。あえて今の時期に海岸を歩きたいとは思わない。

今の時期は紫外線が強く、暑く、とても大変だ。さらに真夏とか初秋になると、生命の危険を感じるほど、気温が高くなる。

それなら、オークションに出ている物でも買おうか、ということになるのだと思う。私はそれはそれでよい、と思っている。

糸魚川まで車で行っても、電車で行っても、結構な交通費、時間がかかり、しかも何時間も海岸を波、熱中症、危険なスズメバチの危険にさらされながらさまようことを考えたら、オークションに出品されている石を(必ずしも翡翠であるとは限らないように見えるが)、当たりはずれを気にしないでも買った方が、ずっと安い。

しかしなあ、あの石はそれほどの価値があるものなのだろうか?

某宝石加工屋さんも「ほとんどがアクセサリーにすらならない石ころ」と書いていたし。

確かに現物を目の前にすると、ちょっと白い石ころだ。すこしひすいを含んだ石なら、「たまにある」程度にはまだあると思うけど。それを目当てに行こうなんて、思わない。

2022年5月21日土曜日

スノーブリッジ

 野口健氏のツイッター


著名な野口健氏の同行カメラマンを長く勤められた平賀淳さんがクレバスに落下して亡くなられた。
心からご冥福をお祈りする。
アラスカのデナリ(マッキンレー)で撮影中、突然スノーブリッジが崩落、クレバスに落下し雪と氷で埋まってしまったという。

雪山では上の写真のように、硬い雪の上を歩くことができるが、いつ崩落するかわからない。
下までの距離がどのくらいあるのかも、雪の上からではわからない。
夏道を登ったことがあれば、あるていど高さは覚えていることがあるのだけれども。
上は去年大日岳を登った時の写真なのだが、一部に2~3mの高さのある場所がある。
上からは完全に平坦にしか見えない。下は水が流れており、空洞になっている。
落ちればけがをすることは間違いないので、真ん中は避けなければならない。

デナリのような、一年中氷に閉ざされたような場所では、どこが地面なのか、まったくわからないと思う。
また、「ヒドゥンクレバス」という、上から見ただけでは分からないクレバスも存在する。
雪や氷の上を歩くという事は、常にその危険を意識していなければならない。

日本では特に今の時期、残雪の上を歩く機会も多いが、突然踏み抜いたりすることがある。
もちろん、アラスカとは比較にならない規模ではあるが、気をつけて、危ない所は歩かないようにしなければならない。

野口氏は「もう山は疲れました」とおっしゃっているようだが、長年の盟友であったカメラマンの山での死。無理もない。また同じく盟友であった谷口けいさんも、以前山で亡くなられている。

改めて山は恐ろしい、と思うと共に、これから自分はどのように山に向かって行こうか、考えさせられる出来事でもあった。

2022年5月20日金曜日

廃坑探索はとても危険



 いつも行っている金剛堂山の近くに、昔黒鉛を採掘していた高清水鉱山(リンクは鉱山村の廃墟を訪れた方のブログ)がある。ここはかつて日本国内の1/4の黒鉛を産出していた大きな鉱山であった。
鉄礬ザクロ石があるらしく、ブログによれば、地元の人が「昔の坑道はクマの家になっており、とても危険な場所」であるという。

上の「遺構調査機構」さんのページにもあるように、廃坑はとても危険な状態だ。
そもそも、管理されていないから、落盤、崩落、そして竪坑への滑落、転落などがあり得る。
水が入っていることもあり、その場合、竪坑の位置はわからない。
また、薄い岩盤を踏み抜いて、そこから水が風呂の栓を抜いた時のように落ちることもあるという。そこに吸い込まれたら、ほぼ助からない。
また、ヒ素やその他の有害な物質、有毒ガスなどが充満していたり、危険な生物がいたりする。
(多くの廃坑はあまりに危険なため、立ち入り禁止になっていたり、坑口がコンクリートで封鎖されている場合が多い。)
新型コロナウイルスが中国の奥地雲南省の銅鉱山の穴に住んでいるコウモリのウイルスであることを考えると、その危険さが分かるであろう。

廃坑に近づくことは、沢登りや洞窟探検以上に危険である。

山登りで稜線を歩くのが「天国」であるとすれば、廃坑探検はまさに「地獄」と言っていも良いかもしれない。

しかしそれでも行く人がいるのだよね。。。



2022年5月19日木曜日

鉱物マニアへの道

 


鉱物を集めるのが趣味のひとたちがいるらしい。
いや、ひすい拾いも「鉱物集め」の一種でしょう?と言われればそうかもしれない。
しかし、ひすい拾いはとてもライトな感じだ。
海岸を歩くだけなので、ハンマーをもって歩いたりはしないから。
誰でも始められる趣味である。

しかし、「鉱物マニア」と言われる人たちの集めるものは違う。
「輝水鉛鉱(モリブデン鉱石)」やら「輝安鉱(アンチモン鉱石)」など、まず一般人なら知らない鉱物を収集するらしいのだ。
それらの鉱物はかなり強い毒性のあるものもあり、取り扱い注意だ。
中には放射性物質を収集する方もあるそうだ。
希少な鉱石を求めて、山奥の廃坑になった鉱山を探索したりするらしい。
もちろん、そんな場所にはクマも出没するだろう。

なかなか命がけの趣味だ、と思う。
いや、趣味の域を超えた何か「ロマン」みたいなものを感じる。

2022年5月18日水曜日

ルビー原石を入手

クリスティーズで37億円で落札されたルビー(リンク) 

ルビーはダイヤモンド、エメラルド、サファイヤと並んで高額な宝石で知られている。
しかしながら、最近では人工的に作れ、また天然石であっても加熱によって色を鮮やかにできるために、低品質の石が出回っている。
宝石としてリングやネックレスに加工されてしまった後では、もはやそれがどんな石であったか、鑑定するのは難しい。
非加熱のままで、ハトの血に譬えられる真っ赤な色を持つ石は、ミャンマーで産出し、「ピジョン・ブラッド」と言われ、ひすいの「ろうかん」に相当する最高級の石であり、とても一般庶民の手に届くものではない。

以下の石は、とあるオークションで落札したものだが、どうだろうか?
まあ、最高の石も、低品質の石も、同じルビー(コランダム)であることは、同じじゃないか?(笑)
私みたいな貧乏人でも、億万長者になった気分になれないだろうかねえ。

光を通してみた。青い色が混じるのは、ルビーとしてはあまり良くないそうだ。しかし、今までに見たことがないような色だ。これがルビーなのか!

サラミソーセージみたいな石だ、と言わないでほしい(笑)ずっしりと重みがあり、比重があることは確実だ(コランダムの比重:4)

不純物や割れが入っているので、加熱されていないかもしれない。表面には母岩の残滓が付着。

61カラット(12g)。小指の先ほどもあるルビー。昔フビライカーンだったかが、指の大きさのルビーと一つの街を交換したそうだ。

磨けば少し光が出るのかな。
しかし切断面に3方のきれいな結晶が見えるので、このまま鑑賞するなり、お守りにさせていただいたほうが良いようだ。
良いオークションであった。満足。

2022年5月16日月曜日

青い宝石は不吉か?

オーストラリアから送ってもらった”スターバーストストーン”

 ブルーサファイヤの話(かなり詳しい)

ブルーサファイヤについて調べていたら、この石はインドでは土星に当てはまり「シャニ神」と関係する。
ハゲワシに乗るシャニ神

この神は「試練」を与える神とされ、そこから連想されてブルーサファイヤは「持ち主を選ぶ」と言われる。
誠実な人を守るが、悪徳、非法な行いをする者には罰を与える、という。

シャニ神はハゲワシ(カラス)に乗った姿で描かれ、まなざしは鋭い。
スールヤ(太陽神)の子であるとされるが、光を持って生まれてこなかったため、父に疑われる。シヴァ神から三又の鉾を譲り受けたと言われる。

インドでは敬遠される神であり、象徴する「ブルーサファイヤ」も尊ばれるが、身につける宝石ではなかったようだ。
インドで人気のあったサファイヤはイエローサファイヤであった。

青い石は見る者を落ち付かせるように思える。
しかし、反面なんとなく「恐ろしいもの」というイメージを持ってしまうことがある。
なぜだか分からないが。

そういえば呪いの宝石で有名な「ホープダイヤモンド」は、ブルーサファイヤと見まごうばかりのブルーダイヤモンドだ。

「持ち主に試練を与える」という青い石。
なるべく避けたいが、試練を乗り越えることで、新たな世界が見えてくることも事実である。また人生の真実を見ることもできる。
試練の無い人生は、本当は「豊かではない」のではないだろうか?

2022年5月12日木曜日

条件が尽きるまで


 山に登っていると思う事がある。
「ここで、もし死んでしまったらどうなるのだろうか?」と。
いつそうなるとも限らない。山は危険だから。

人間が生きているのは、よく考えてみれば「自分の力」とか意志とか意識の力ではない。
もっともっと、はるかに大きな存在に生かされているのだ。
複雑な関係性、つながり、条件のからみあいの中で、たまたま何かを考え、存在している。
それは「水の泡」のような一時的な状態なので、ずっと存在することはない。
条件が尽きれば、形を失い、人間の基準で言う「存在する」という状態ではなくなる。

そう考えてみると、目の前にみえる景色も、なにもかもが意識のつくりだした「幻」である。永遠にそこに存在する「実体」ではない。

生きていることは自分の意思ではない。自分の命だ、と思い込んでいるが、そうではない。
仮に自分の意思で生きることができるのであったら、1000年生きようと思えば生きることができることになってしまう。
自然に老いが始まり、そして死んでいく。

都会ですら、昨日あった店がなくなり、数か月すれば別の店が営業していたりする。
山もいつも同じ形をしているわけではなく、去年あった道が無くなっていたりする。

だとすれば「昔と同じ」記憶にこだわり続け、「去年と同じだ」と思っているのは「現実」を見ていないことにならないだろうか?

自然界の流れに従って、私たちは生き、死ぬ。
それに対して素直になれば、悩むことは少なくなるのではないだろうか?
だれも、何も持っていないし、作ったものも、発明したものも無い。
「あたま」がそのように見せているだけではないだろうか?

2022年5月10日火曜日

金剛堂山 奥金剛まで やっぱり金剛堂山は最高

 少し登山の時間があると、一番登りやすい金剛堂山に行きたくなる。
ここは樹林帯と風衝草原のバランスが絶妙で、景観も良く、特別険しい事も無い。
ただ、登った人の中には「距離が遠くて大変」とかいう意見も聞く。
往復12km、標高差1000mをしんどいと感じるか、どうかはそれぞれだろう。
私はこの山には少なくとも20回以上は登っている。
適度な運動が出来て、しかも景観は何回来ても素晴らしい。
どことなく人工的な雰囲気を感じる北アルプスよりも、私は好きなのである。

奥金剛から中金剛をふりかえる。雪渓が硬くて最高!

ここから見る白山は雄大

遠くは医王山の向こう側に金沢の町

もっと雪があると、この場所は雪稜になっていて、横断する。今は上を歩く

天気が悪くなる雲だ

奥金剛

奥金剛の標識


奥金剛の上は、平坦な大地が拡がっている。


涼しい


片折岳から金剛堂山をふりかえる

新緑が最高

いつ来ても金剛堂山は最高。一番好きな山です。

2022年5月6日金曜日

新型コロナ後遺症について

新型コロナウイルスが細胞に侵入する仕組み


足かけ3年、人類を悩ませている新型コロナウイルス。
最近ではオミクロン株に変異し、感染者数は増えるものの、重症化率は低くなっているらしい。
しかしながら、一方で「後遺症」に悩む人も出て来ているようだ。

17時間寝ても疲れが取れない、咳が止まらないなど、風邪には見られない、特殊な症状だ。
なぜ、このような後遺症が残るのであろうか?
疑問に思って調べてみると、このウイルスは感染すると「シンシチウム」(合胞体)という多細胞の塊を形成し、体内に長く残るらしいのだ。
これはHIVやヘルペスウイルスなどで見られるらしい。

やはり「新型コロナウイルス」は、風邪とは全く違う、新種のウイルスだ。
ちなみに上記のNatureの記事を読むと、細胞の免疫系を騙すために、細胞に結合する部分であるスパイクたんぱく質は糖鎖でおおわれ、関節すら持つという。
そのためスパイクが自由に動き、細胞に結合しやすくなる。
また素早く細胞に侵入する仕組みも持っている。
まるで人間を攻撃するための「ナノマシン」のように思えた。
自然の力というのは、こんなウイルスまで作り出すものなのだろうか?
もしこれが自然の造ったものなのだとすれば、改めて、人間の知能の少なさを思い知らされる思いだ。

まだまだ分からないことが多い新型コロナウイルス。
しばらくはウイルスを吸い込まないように、マスクと手洗いは続けなければならないようだ。

2022年5月5日木曜日

ゴールデンウィークはあまり外出できなかった


 この間唐松岳に行って来てから、山にも海にも行っていないな。
休みの時の方が忙しいので、この間は「ゴールデンウィーク」の先取りみたいなものだった。
4月の後半は天気が悪かったが、5月に入ってからは天気が良かったので、さぞかし山も賑わったことだろう。
例年ゴールデンウィークになると、いろいろやらなければならないことも多く、忙しい。
今年は2年間続いたコロナもだんだん落ち着いてきたので、バタバタしたね。
少しずつ日常を取り戻しつつある日本。