2019年3月24日日曜日

呉羽丘陵(城山付近)

2019/03/19 @城山公園展望台から

住んでいる所から、ごく近い場所の呉羽丘陵(城山、145m)展望台までドライブ。
晴れていれば、立山連峰の大パノラマが拝めるところだが、この日はあいにく天気が良くなかった。
今日は雪。富山では春分の日以降に雪が積もることは珍しい。

富山に住んでいると、周りじゅう山だらけなので、登山を趣味にしていると、登る山に事欠かない。

しかもどの山も急登で道が良くないので、ちょっと遠出して穂高方面に出かけると、道が良くてびっくりする。富山のマイナーな登山道はけっこう荒れていることも多い。
最近改善されつつあるようだが、私が登山を始めた頃は道が明瞭でない場所もあった。

約40分で、剱岳早月尾根登り口の馬場島まで行けてしまう。
立山ロープウエイも、朝一で乗れてしまう。
後立山連峰にしても日帰り可能。
それだけ山が近いということなのだが、あまりに多いと行きたい山ばかり増えてしまう。

その分、山に行けば行くほど危険も多いので、この環境は山好きにとってはアブナイ環境なのかもしれない。


2019年3月22日金曜日

涅槃西風



「涅槃西風(ねはんにし)」は、春の季語。
涅槃吹、涅槃嵐とも言われ、陰暦2月15日ごろ(今年は3月21日)に吹く風のことを言う。
お釈迦様の涅槃会は2月15日。一般的に「浄土からの迎え風」などとも言われる。

先日来、気象は春と冬とがせめぎ合い、大変不安定。
強風と、時々みぞれも混じる。かと思えば、抜けるような青空の日もあり、雪崩が起こりそうな気温の高い日もあった。
そして風が強い日が多い。涅槃西風とは、よく言ったものだ。

こういう時に山に出かけると、本当に「浄土からお迎え」が来そうで怖いので、しばらくおとなしくしているのが、吉だと思う。

「進む足 止めたる尾根の 涅槃西風」

2019年3月17日日曜日

ライチョウ 貴重な生き物 大切に守ろう





ニホンライチョウは日本の固有種であり、最近数を減らしており、絶滅が心配されている。
彼らは高山帯にしか生息できず、環境の変化にも弱い。
地球温暖化の影響や、下界からの動物の侵入などによって危機にさらされている。

そのため、人工繁殖も試みられているが、なかなか困難なようだ。

上の写真は、運良く遭遇した時に撮らせてもらったものである。
滅多に会えない貴重な生き物である。そのため、写真を撮った場所は記載しないようにすることが推奨されている。

ライチョウと目が合うと、この鳥が非常に美しい目をしていることがわかる。
そして愛らしい。
立山の室堂では、ライチョウのぬいぐるみを売っているが、これもまた、愛らしいものだ。

登山道に出てくることもあるが、その時はなるべく近寄らないように、望遠で撮影することにしている。

また、この鳥が出てくる時は、山の天候が荒れることが多いのはよく知られた話だ。

ライチョウは、山の神様の使いとして、信仰の対象になっている。
立山の神社で発行されるお札には、ライチョウがデザインされている。

この希少な生き物が、幸せに、高山の環境でいつまでも暮らしてくれることを祈るばかりだ。

2019年3月16日土曜日

単独行ばかり



私は「単独登山」ばかりしている。「一人じゃ、危ないよ」という意見がほとんどであるのは承知している。しかし、一人で行くのは理由もある。

多くの人で登るのも良いと思う。何かあった場合、グループのメンバーで助け合い、困難を乗り越えることができるだろう。

だが、逆に、もし私が誰かを登山に誘ったとして、仮に事故があった場合、何かしら責任を問われるだろうと思う。
だから私は他人を登山には誘わない。危険な行為であることを分かっていながら、あえて誘うことはできないから。

「登山は自己責任」と言われるが、同行の人まで巻き込んでしまった場合、「私は関係ない」と開き直れるだろうか?
少なくとも、私には無理だ。「なぜ、誘ったのか」と問い詰められても、それに対してどのような回答を出来るだろうか?

一人の場合、登山は自分の責任である。
しかしながらもし、遭難した場合は、誰かの手を煩わすことになる。

いずれにせよ、山に行くことは危険を伴う。

登山届の提出、山岳保険への加入などは、決して忘れてはならない。

2019年3月15日金曜日

スギヒラタケは食べないでください。

http://www.maff.go.jp/j/syouan/nouan/rinsanbutsu/sugihira_take.html




昔よく食べていた「スギヒラタケ」。このキノコに恐ろしい毒性があることが明らかになったのは、最近のことだ。
私は小学生の頃からよく採取して食べていた。
しかし、別に症状は現れなかった。ただ単に運が良かっただけだった。
このキノコは決して食べてはいけない。公的な機関が詳細に警告を出しているので、正式に毒キノコ認定されている。

このキノコを食べると急性脳症を起こす。しかも、多発性硬化症という、原因不明の病気の症状と同じような症状が出る。

多発性硬化症は「脱髄」という、神経細胞の周りを覆っている「ミエリン鞘」という鞘の部分が溶けて、神経そのものがむき出しになる病気である。
このキノコも、まさに「脱髄」を起こす毒性を持っている。

原因不明とされ、「脳が溶ける奇病」と恐れられる多発性硬化症。
もし、このキノコを食べたことが原因だったとしたら。。。

誰もそんなことを考える人はいない、と思うが、ありえない話ではない、と思ったので、書いておこう。

禁煙と登山

2017/8 @焼岳噴気孔付近にて

私は以前ヘビースモーカーだった。
タール10mgのタバコを1日2箱は消費していた。その為、いつも喉はイガイガ。
常に口の中が荒れる、食欲がない、風邪をひきやすい、などの症状が出ていた。

その後、禁煙を決意したが、成功しない。「ニコチンガム」をしばらく噛んでいた。
それで3年ほど喫煙はしなかったが、ある日5mgのタバコを吸ってしまい、また元どおり。
それでも、10mgから5mgに落とすことができた。

そして登山を始めるようになった。喫煙のせいで坂を登る時、ものすごく息が上がる。
途中でニコチンが切れて、一服。
山頂で一服。
しかし、標高が高く、空気が薄い為、めまいがする。この時「タバコは山で吸うもんじゃない」と思ったのである。それ以来登山中はタバコを吸わなくても大丈夫になった。
ただ、ニコチンの依存性は高く、今でも下山時に電子タバコを吸わなくてはならない。

私は山でお酒を飲んだことはない。一度勧められて飲んだが、これも空気が薄いせいか、気分が悪くなった。

登山をはじめると、だんだんタバコを吸わなくなることは確かだ。
電子タバコに変えただけで上り坂での辛さが約10分の1に減った。
タバコがいかに呼吸器官にダメージを与えるか、という証拠である。

私のタバコとの付き合いはかなり長いので、徐々に禁煙を試みているが、そのうち止められそうな気がしている。

2019年3月14日木曜日

放置しておいても作られる

成長中の雪庇

「美しいものを作る」というのは、美術とかデザインの永遠の目標だろう。
しかし、人間の力には限界があって、たとえば蟻やハエ一匹ですら、そのままのものを1からデザインして動かすということは、ほぼ不可能である。

まず、蟻やハエは自律的に栄養を補給し、「放っておいても」生命活動を維持することができる。
しかし、これはロボットにはできないこと。

そして、常に自分自身を再組織し、古いものを排泄し、新しいものを自分の体で作り出し、恒常に保とうとする。
これも、人工的に作られたロボットにはできないことだ。

自然の美というのは、そういう「生命維持の機能」を含んだ美しさであり、それらしいものをオブジェとして置いても、代わりはできないのだ。

今西錦司博士は『生物の世界』の中で、自にとっての環境を「その生物が認識し同化した世界である」と言っている。生物と環境は一体であり、環境の変化によって選択されるわけではなく、生命主体側がその環境と「動的な」関係を持ちながら、存在する。

もしそうであれば、山においては雪も生命であるし、風も生命である、ということになるかもしれない。
環境ひとつひとつが、生命の一部であり、お互いに関係しながら生きているのではないか、と思う。

山ではその関係が非常にうまくいっているので、すべてのものが完璧とも言える造形になるのかもしれない。
人間が科学で作り上げる世界は、非常にアンバランスに見える。それらに癒しを感じられないのは、しかたないのかもしれない。
また、芸術家があえて作品にそのアンバランスさを強調する場合もあるのは、そのせいかもしれない。

兎にも角にも、山を歩いていると、そういう「人間の手の加わらない」美しい造形を鑑賞することができる。
しかしながら、写真に写るのはその影であり、目の前でそのものに対峙しながら鑑賞するのとはだいぶ違ってくる。

それらは人間に「放置」された場所で作られたものだ。
その造形は、どんな写真よりも、どんな芸術作品よりも美しい。

有史以来、ギリシャや中国の古代文明の時代から、人間はその造形を真似て作ろうとしてきたけれども、成功していないと思う。

多分人間にはそれを作ることが不可能なのである。

2019年3月13日水曜日

山の四季

精神的に疲れた時は、いろいろと神経が複雑に絡み合っていることが多い。
毛糸を巻いて、毛糸玉を作りたい時、毛糸が複雑に絡み合っていると、うまくできない。
イライラして、ハサミを持ち出して、途中で切ってしまいたくなる。
考えもまとまらず、気分が鬱ぎ込むばかり。
「途中で切るな」と言われたら、なんとかしてほぐすしかない。

ほぐすには、それなりに時間が掛かるが、一旦放置して、またほぐす作業をすると、うまくいく場合もある。
われわれは、何か作業をする時、とにかく早くやってしまわねば、と自分を追い込みがちだ。

その点、自然の四季というのは、全くそんなことを考えない。
春になれば花が咲くけれども、別に何月何日までに咲かなければならない、という決まりはない。
気がつかないうちに、咲いている。

我々人間社会は、なんでも慌てすぎなのだ。早く仕事を仕上げる人間は優秀で、のろのろしていると、「使えない」というレッテルを貼られる。

人間にはその人のできる限界がある。それを無理に引き延ばそうとすると、人間が枯れたり、痛んだりするのだ。それは自然の植物と同じだ。無理に咲かそうとすると、なんとなく美しくない。また、その時期に自然に生えるものでないと、食べてもうまくない。

人間がバカだと思うのは、自分たちに都合の良いように自然を変化させることだ。
春になれば咲くものを、真冬や真夏に咲かせたり、秋にしか採れない果物を、真夏に食べようとしたりする。
実際そんなものを食べても、うまくない。

「季節感」というのはとても大切で、人間は四季のリズムに合わせて生きると、精神的にも肉体的にも健康になれるような気がする。




2019年3月11日月曜日

今年の雪山シーズンももうじき終わり

北アルプスを望む @金剛堂山 3/9

例年に比べて、春の訪れが早いと思う。いまの時期としては、かなり山の雪が少ない。
いつもなら4月中旬ぐらいまで、雪山を楽しめる山でも、今年はダメかもしれない。
去年の雪はかなり多かった。その分、余計雪の少なさを感じるのかも知れないが。

今年は野伏ヶ岳とかにチャレンジしたかった。
野伏ヶ岳は一般登山道がなく、積雪期限定の藪山だが、石徹白に行く時間が取れず、いつも登れない。
どうやら今年も登れずに、シーズンの終了を迎えそうだ。

4月はいつも天候が悪く、おまけに年度始めで山行の時間が取れない。
3月の好天の日というのは、とても貴重。休みをもらって行ったのは正解だった。
年度末の慌ただしさが始まる前に、一息入れるのもまたいいものだ。

2019年3月10日日曜日

冬山での暴風対策

暴風の中を登る登山者 @金剛堂山 昨日

雪煙で煙る稜線 @金剛堂山 昨日
いや、昨日の金剛堂山ではいろいろと間違った登山をしてしまったかも。
まず金剛堂山は、山頂に「風衝草原」が広がっている山。
「風衝」とは、常に風が強く、そのために木が吹き飛ばされて育たない場所のことを言うのだそうだ。
今までは、たまたま風が弱いときに登っていただけであり、実は風が強い時のほうが多い、ということを認識していなかった。
そのため、頭の中に「風対策」が無かった。これがまず、第1点目の反省点だ。

そして「バラクラバ」を持って行かなかった。
「快晴なのに、そんなに風が吹くわけがない」という思い込み。
実際には雪山の風は身を切るように冷たかった。
下界の温度は17度ほどあったらしいが、金剛堂山は標高1650mほどあるので、17-9.9=7.1度ほど。朝はもっと寒いから実際は0度ほどだった可能性がある。
これに風速20mぐらいの風が常に吹いていたとしたら、体感温度は氷点下となる。
この状況で、雨具のフードのみでやりすごしていたのだ。
周りの人はみなバラクラバを装着しておられた。
冬山の風は、下手をすれば凍傷を招く。これが第2点。

暴風の為、視界が狭くなる。そのため、ゴーグルをしたほうが正解だった。
これが第3点。

そして、最後に、あの状況で山頂を目指すことは、そもそも無理があったのではないだろうか?
今回は装備が十分でないまま、読みが外れて予想外の状況に出くわしてしまった。
この場合、そこから引き返すのが良かったのではないだろうか?

山では想定外の気象条件が起こりうる。あまり荷物を多くするのも問題があるが、いやしくも冬山に登ろうとする者は、装備の重量を嫌ってはならないのだ、と思った。

登山口での判断が、必ずしも正しいとは限らないことを、今回の山行で経験した。

2019年3月9日土曜日

金剛堂山 烈風(風速30m以上) 快晴だけどやばかった

毎年いまの時期に登る「金剛堂山」。
今日は快晴の予報。おやすみをもらって、行くことにした。今日を逃したら、多分しばらく山行できないから。

快晴で「これなら楽だな」と思っていたが、とんでもない。
金剛堂山は自然の厳しさを私に教えてくれた。台風かと思うぐらいの烈風。スノーシューを履いていたのでなんとか体は支えられたが、時々耐風姿勢をとらないと体ごと持っていかれそうになる。金剛堂山でこれほどの風を経験したのは初めてだ。
なんどもくじけそうになる。すぐに消えていくトレース。クレバスがどこにあるのか、わからない。恐怖と戦いながら、なんとか山頂に到着したのであった。

下の方はほぼ無風だったのに、片折岳を過ぎたあたりから風が強くなってくる。山頂付近はかなり雪煙が舞い上がっている。大丈夫だろうか?

標高を上げるにつれ、烈風が襲いかかる。顔に氷の粒が当たり痛い。

山頂に到着したが、烈風は最高潮。多分風速30mは超えていただろう。体を支えるのがやっと。

中金剛にはとても行けない。

急ぎ風景を撮影。空気が澄んでいるため、この世のものとは思えないほどの絶景。

北アルプス

山頂の祠の陰に退避するものの、ほとんど効果なし。早々に下山開始。

こんな風は、乗鞍の猫岳以来だな

2人の登山者が上がってこられる。

すれ違いざまに、後姿を撮らせていただいた。かっこいいな。

出来たての雪稜

雪庇を横断する地点。

風はまったく弱まる気配がない。

ここはアルプスか?

これも金剛堂山

例年より、雪庇は小さい

霧氷

標高を下げても、まだ風は強い

クレバスが見えないので緊張する



クレバスが反対方向にある。これは意外だった。上りの私のトレースが、すぐ横についているのを見て、ひやっとした。

大きな雪庇はまだ健在

無事、片折峠まで下りて来られた。

晴天なのに、こんなきついこともあるんだなあ。

ブナを見て、ほっとした。


2019年3月7日木曜日

まだ使えるEL Capitan

古いMacを使っていて、新しいOSXがインストールできなくても、EL Capitanはまだ使える。

アップルのサポートページ(2019年2月)


かれこれ10年、macを使っているが、macは丈夫なため、壊れない。
まだまだ現役で活躍している。
Appleの製品の良いところは、「古いものを使い続けられる」ということ。
W●in●ows のマシンように、OSが変わったら、買い換える以外の選択肢がなくなる、ということが少ない。

使い慣れたマシンは、やはり良い。愛着というよりは、体の一部になっている。
次々と環境が変わってしまうと、本当に使いづらい。
OSが変わると、それまで使っていた環境が、丸ごと変わってしまう。
これは「使い勝手」の観点からすると、最悪以外のなにものでもないのだ。

2019年現在、EL Capitanはまだ使える。
Appleさん、本当にありがとう。



雨ばかり。買い物に行ってきた

2016/03 猪臥山にて
今日は行ける時間があったのに、生憎の雨。しかも寒気が流れ込んで、夜から雷になる。
西高東低の冬型気圧配置で、低気圧が強く、雪も混じりそうだ。
こんな時に山に行くと、たいへんな目に会うことは分かっているので、かえってよかったというか、なんというか。

最近は大気中の水分量が温暖化の影響で多いのだろうか?。日本海側に住んでいるので、やたら雨の日が多いように感じる。

普段買い物に行く時間も無いので、少し「買い物」をしてきた。
店で自分の欲しいものを探すのは、時間もかかるし、本当に買いたいと思えるものが無くて困る。
ネットショッピングだと、どんなものでもあるので、買い物は大抵ネットで注文する。
運が良ければ、ネットオークションで格安のものを手に入れることもできる。
これに対し、中古品店舗の中古品を見ると、ネットより2〜3倍高い。
ただ、実物をディスプレイしてあるのは、実際にものを見て検討できるから良い。

ミレーやノースフェイスの古ぼけたザックも売っていたが、「中古品らしい中古品」。
しかも値段も結構高く、とても買えない。しかし実物が目の前にあるのは良いことだ。

いかにいい物を安く買うか、ということを誰でも考えていると思われるので、良いものはすでに売れてしまっている、と思われる。
これはたぶんネットショッピングでも同じであろう。

ネットの場合は、品物の相場を見極めることが大切だ。
一方で2万円の中古品が、4000円で入手できることすらある。
検索する店は、海外のものも含めて検討する必要がある。
海外の方が安い場合はほとんど無いが、やはり中には安いものがある。

アマゾン、ヤフオク、メルカリ、楽天、価格.com、海外はeBay一択だ。
詐欺、転売屋に引っかからないようにして、商品を探すのは、勘と経験を要する。
それでも、30%はだめな商品を掴まされる。

長く使いたいものは新品、消耗品は中古で良いと思うのだが、ダメな商品を掴まされた時のダメージは最小限にしなければならない。

「品物」の価値は、買う人が欲しいか、要らないかで決定される。
スマホのような、日常的に使われるものは法外なほど値段が高い。
原価が1万円もかかっているかどうかと思われるiP●neの最新版の価格は、軽く10万を超える。これはいくら大企業のやることでも、足元を見すぎなのではないか?

そして、「本」の場合はもっと市場の見極めをやる必要がある。
古本などは、数万円の値段のするものがあるが、どんな基準で値段をつけているのか、全くわからない。
古書店でまともに買い物をできたら、ネットオークションなどは楽勝である。

初心者は、価格.comや楽天から入って、オークション要素のあるAmazonに進み、詐欺の実例のあるヤフオクやメルカリは最後にするとよい。

多少高くても、詐欺の少ないのはAmazon(それでも詐欺がある)であり、オークションは失敗を覚悟して買い物をしなければならない。

まとめると、買い物には経験が必要であり、頭の中にデータベースを作っておかなければならないということ、そして、ある程度の失敗を許容できなければならない、ということだ。

オークションはギャンブル的要素も混じるので、誰にでもお勧めできる買い方ではない。
しかし、商品さえ見誤らなければ、良い品物を格安で入手可能だ。

だが、ちょっと油断すると大きな失敗をする。
まるで登山道で石につまづいて、滑落してしまうように。

2019年3月2日土曜日

どうして山に行きたくなるのか

2017/9 早月尾根にて
「剱岳に登ったら、登山はやめようかな」と思っていた。
しかし、しばらく山に行かないと、また行きたくなるのだ。
どうしてだろうか?自分でも、はっきり理由が分からないのだ。

登山はきついし、孤独だし、危険だ。
単独行は、楽しいことはない。下山するまで、常に気を抜けないから、食事もできるだけ簡単に済ませてしまう。アドレナリンがたくさん出ているのだろう。常に崖っぷちに追い詰められているような(実際に目の前には崖があるから、リアルにそういう状況なのだが)緊張感。
たまにそういう状況に自分を追い込んでやらないと、楽しくないなんて、どうかしていると思う。


「ランナーズハイ」ならぬ「クライマーズ・ハイ」という言葉があるらしい。
登ることに、われを忘れるほど熱中する瞬間がある。
それが忘れられないのかもしれない。

2019年3月1日金曜日

単独登山は究極のソロ活

乗鞍岳山頂から下る
最近「ソロ活」(個人活動)というのが流行っているらしい。
分野はフットサル、ダンスとかカルチャークラブまでと幅広いようだ。
しかし、なぜか登山は含まれていないようだ。
やはり「登山を一人でやるのは危険だ」という認識が、社会的常識となっているのだろうか。
単独登山はたしかに危険を伴う。もしも下山不可能になった場合、命の危険があるのはもちろん、多くの人に迷惑をかけることになるからだ。

『ドキュメント 単独行遭難』という本も出ている。一読してみたが、人間はなかなか簡単に死なないものだ、ということはわかったし、遭難すると大変な迷惑がかかるということも理解できた。

しかしそれでも、私は単独でしか山に入れない。登山を趣味にする人が周りにいないし、いたとしても時間が合わなかったり、暇の無い人ばかりだから。

単独登山を「ソロ活」と言ってしまえば、これほど「ソロ」に徹するソロ活は他に存在しない。半径数キロメートル以内に、おそらく人間は存在しないであろう、という山に入ることもある。多分文明社会の中で、唯一完全な孤独を味わえるのが、マイナーな山への単独行ではないだろうか?

雪崩、滑落、道迷い、危険な野生動物、落雷、低体温症などの危険に、たった一人で向き合うことが要求される、極め付けに危険な「ソロ活」。

万人にお勧めできる活動ではないことは、間違いないだろう。

それでも続けるのは、ひとえにこの軟弱な「私」を心身ともに鍛える必要があるからである。
それによって、自分が生きていることの意味を見出だすことがいつかできたら、という淡い期待を持って、この「徒労」を続けている。