レヴィ=ストロースは『悲しき熱帯』の最終章「チャウンを訪ねて」において、仏教とイスラム教の比較文化論を試みる。
これが、アマゾンの調査紀行文の最後に置かれるのは、意味深い。
アマゾンにおけるレヴィ=ストロースの調査旅行は、絶望を伴うものであった。
なぜなら、そこで見たアマゾン先住民族の生活は既に西洋文明に影響されて、本来の姿を失い、「消えかかっている」ものであったからだ。
西洋文明の「暴力性」に対して、彼は大きな疑問と自責の念にとらわれる。
彼自身、征服者としてのヨーロッパ人に他ならなかったからだ。
そして彼がインドの古代仏教遺跡の「タクシーラ」で見た、ギリシャ、ヒンドゥー、仏教の平和的「混淆」を、イスラムの謹厳主義、排他主義と比較し、仏教の文化を未来につながるものとして、おおいに評価している。
しかしながら、人間社会の理想を示していると評されたこれらの仏教は遠い昔に消滅し、今はイスラム教徒によってその痕跡まで破壊されつくしている。レヴィ=ストロースの考察は大体にして間違っていなかったことが、証明された形になっている。
闘争と破壊、一旦支配者が変われば前の文化はことごとく破壊してしまう、という人間の根源的な心理「構造」は、今でもその勢いを弱めることはない。
人類に本当の意味での「平和」が訪れる日は来るのだろうか?