2019年3月13日水曜日

山の四季

精神的に疲れた時は、いろいろと神経が複雑に絡み合っていることが多い。
毛糸を巻いて、毛糸玉を作りたい時、毛糸が複雑に絡み合っていると、うまくできない。
イライラして、ハサミを持ち出して、途中で切ってしまいたくなる。
考えもまとまらず、気分が鬱ぎ込むばかり。
「途中で切るな」と言われたら、なんとかしてほぐすしかない。

ほぐすには、それなりに時間が掛かるが、一旦放置して、またほぐす作業をすると、うまくいく場合もある。
われわれは、何か作業をする時、とにかく早くやってしまわねば、と自分を追い込みがちだ。

その点、自然の四季というのは、全くそんなことを考えない。
春になれば花が咲くけれども、別に何月何日までに咲かなければならない、という決まりはない。
気がつかないうちに、咲いている。

我々人間社会は、なんでも慌てすぎなのだ。早く仕事を仕上げる人間は優秀で、のろのろしていると、「使えない」というレッテルを貼られる。

人間にはその人のできる限界がある。それを無理に引き延ばそうとすると、人間が枯れたり、痛んだりするのだ。それは自然の植物と同じだ。無理に咲かそうとすると、なんとなく美しくない。また、その時期に自然に生えるものでないと、食べてもうまくない。

人間がバカだと思うのは、自分たちに都合の良いように自然を変化させることだ。
春になれば咲くものを、真冬や真夏に咲かせたり、秋にしか採れない果物を、真夏に食べようとしたりする。
実際そんなものを食べても、うまくない。

「季節感」というのはとても大切で、人間は四季のリズムに合わせて生きると、精神的にも肉体的にも健康になれるような気がする。