山頂付近にある祠の現状。以前の写真では2つあった祠のうちの一つが倒壊していた。 2019/06/18 |
明星山の山頂の祠は、祠の横に刻まれた文字によれば、弘化4年(1847年)5月23日に建立された。
弘化4年はこの地方を「善光寺地震(旧暦の3月24日に発生。太陽暦で5月8日)」が襲った年であり、同年の3月29日(太陽暦5月13日)には越後高田で誘発地震が起こって20名の死者が出ている。
この祠が建ったのは、この大きな地震が起こった2ヶ月後、つまり現在の暦で7月頃だということになる。
マグニチュード7.4程度の直下型地震であり、震源は長野の善光寺平であった。
山崩れ土砂崩れが4万カ所以上、家屋全壊2万軒以上、死者が8600人強という、凄まじい被害を出したのである。
糸魚川地区はこの時、震度4ぐらいだったと推定される。
周辺の藩は松代藩に救援物資を送ったりして助けたが、松代藩の財政難は幕末まで解消しなかったと言われる。
この年に、この祠が建立されたのは、この善光寺地震に関係があるのではないだろうか?
地震の直後に建立されたということは、当時の人々の切実なる思いと、祈りの反映なのではないだろうか?。
この地域で起こった直下型の地震としては、2004年に発生した新潟県中越地震が記憶に新しい。
フォッサマグナの西側の縁である糸魚川静岡構造線の上にあり、先日発生した山形県沖の震源に繋がる日本海東縁変動帯の上にあるこの地域では、昔から度々地震の被害を受けていたのであろう。
今の日本では、いつどこで発生してもおかしくない(地震学者のロバートゲラー氏の談)のであるから、常に備えをしておくべきだ。
この祠に由来を考えるにつけ、その感を新たにしたような気がした。