2021年3月6日土曜日

ひすいについて書くのは、お手上げになってしまった




 
ひすいについて、何か書こうか、と思ったのだけど、結局何も書けそうになくなってしまった。
ねたぎれというわけではないが(前にも書いたのだけれども)、ひすいという石があまりにもわかりにくすぎて、何がなんだか分からなくなってしまう事があるのだよね。

特にこの石が、ルビーやサファイヤみたいにきちんと「単体の結晶」として存在しているなら良いのだ。
しかしこの石はいろんな石に混じっているので「これがひすいだ」ということは、はっきり言えないからなおさらだ。
見ようによってはひすいである石、比重は軽くても混じっていることがある石、おなじ比重の別の石に混じっている石、があるのだ。
そこらへんにある石ころと、どう区別してよいのだろうか?

さらにほんのわずかしか科学的組成が違わない「曹長岩(アルビタイト)」は見向きもされない。
アルビタイトは海岸にたくさん転がっている。

かと思えば、どちらかと言えば蛇紋岩に組成が近い「オンファス輝石」によって、緑色に色づくひすいもある。
この石は、「カオス」という表現がぴったりな石だ。

「ひすい」だけを美しいと思える美意識が、私にとって理解しがたいものになりつつある。
普通の石とどこが違うのだ?
しかもひすいは美しいとは限らないのだ。もはや何がなんだかさっぱりわからない。

何億、何千億もありそうな石ころ。
その中から特定の成分を割と多く含み、美しい石を探す。
人間の認識力の限界との闘いみたいなものだ。

これについて、なにか書こうとすることに限界を感じてしまう。
書こうとする対象が、何か得体の知れないものなのだ。
それが自然だ、と言えばそうなのかもしれない。

自然がこれほどまでに複雑だとは思ってもいなかった、というのが正直な感想だ。