2021年3月25日木曜日

白木峰 積雪期6回目の挑戦で初めて登頂

前回の雪辱を果たすため、雪山6回目の白木峰へ。
この山は標高差からすれば、唐松岳(約900mほど)以上。確かに低山には違いないが、私にとっては何度トライしてもそのたびに跳ね返される、という山であり続けた。
思い返せば、2011年に登山を開始したときに、初めて登った山がこの白木峰であった。
それからちょうど10年。やっと雪の白木峰に登ることができた。

山スキーとかをやる人にとっては良いフィールドらしいが、全体的に急登で、特に1340mの8合目から先の壁はいつ見ても恐ろしく、しかも条件が悪かったので、登ることが出来なかった。
時期も悪かった。12月の雪の降り始めや4月の天気が崩れやすい時期に行っていたのだから。
この壁は、横に林道があるけれども、雪崩地形のため、回避できない。
どうしても登らなくてはならない。
今回は雪の状態が良く、アイゼンで登れた。

8時ごろ、大長谷温泉駐車場からスタート。今日は条件がよさそう。

8合目先の急登を登る時、足の筋肉がひきつった。12時ごろ、山頂。北アルプスの絶景が出迎えてくれた。

登山開始10年目にして、ようやく雪の白木峰に登ることが出来た!一抹の感慨にふける。

乗鞍と御嶽の間に、八ヶ岳も見える

白木峰避難小屋

白山と笈や大笠方面

仁王山

下山開始。金剛堂山に似た雰囲気だが、尾根の傾斜はずっときつい

山頂部をふりかえる。

この先から急登が始まっている

この周辺が一番傾斜がきつく、危険だ。林道は雪崩危険。絶対使ってはいけない。

8合目上の壁を降り始める。こんなクラックが至る所にあり、もう少し気温が上がれば、雪崩るかもしれない。

無事8合目まで帰還。想像以上に斜度があり、条件が良くなければ行けない

8合目から見る金剛堂山

アイゼン、ピッケルを仕舞い、ストックで広い尾根を下る。

大きなブナの木

林道のショートカットはまだ大丈夫だった

雪が硬く、条件が良い

さらに下る

冬道の登り口に帰ってきた。すこし藪漕ぎをした

国道471号では、ブロック雪崩も発生

午後2時ごろ帰還できた。有難うございました。感慨無量です。


2021年3月21日日曜日

三点確保


海岸の濡れた岩を安全に上り下りする時に、登山の知識と経験が多少なりとも役にたつような気がする。
濡れた岩に、不用意に立つと簡単に転倒してしまう。
転倒すると、岩に頭をぶつけたり、捻挫したりするので、「三点確保」しながら登らなくてはならない。
三点確保は、足と手の「三点」を必ず地面に接触させておく、という方法だ。
両足がついている時は、片手を、両手が着いているときは必ず両足のうちの一方を、地面に着けておく、ということだ。
これによって、転倒・滑落の可能性を減らす。
この方法で岩の上り下りをしないと、とくに濡れた岩場は危険だ。
親不知のような険しい岩場の連続する場所では、本来ならロープとハーネスが必要なのだが、この方法である程度は大丈夫である。
もちろん、これだけでは厳しい場所も存在する。
海は山と違って、下は荒海だ。落ちたら決して助からない。

ここまでして、ひすいを求める意味があるのか、とも思うが、探し出すととことん探してみたくなるものだ。
知らないうちにとても危険な場所に入り込んでしまうこともあった。
山と違って、海ではいつ波にさらわれるかもわからない。
しかも磯は濡れた岩場。
深追いは禁物だ。

2021年3月18日木曜日

コロナはいつ終わるのか



東京は21日で緊急事態宣言を解除するようだ。
首相の会見を聞いていたが、時短要請などは前とほとんど変化なし。
ワクチン接種を強力に進めるため、1億回分を確保したということだ。
まずは高齢者から接種開始のようだが、40~50代の感染者が一番多いみたいなのに、この年代にはいつワクチンが届くのだろうか?
ともかくも、1年間の間に新型コロナのことについていろいろ分かってきたことがあるらしい。
会見では日本で新型コロナが終わる日がそう遠くないような言い方だった。
しかし、オリンピックで海外から人が押し寄せた場合、また増えるのではないだろうか?
新型コロナはどうやら季節に関係ないようだ。現に真夏のブラジルでも感染拡大している。

オリンピックは中止になってくれた方が良いと思っている。
世界中でまだ収まっていない現状を見るにつけ、こんな時にやらなくてもいいじゃないか、と思わずにいられない。国民の大多数がそう思っているのではないだろうか?

ワクチン接種が進むにつれ、感染拡大は終わりに向かうだろうか?それもはっきりしない。
早く終わってほしい、とはだれもが思っている。
しかし、その道筋があまりに不明確なのだ。

しばらくコロナとの戦いは続くのではないだろうか?

2021年3月17日水曜日

蛇紋石と今季拾えたひすい

 先日行ってきた時は、ひすいは拾えなかったが、きれいな蛇紋石を拾えた。
これだけ透明度が高ければ「サーペンティン」と呼んでもいいかな、と思っている。

歌の高架橋下で拾った蛇紋石。磁石に付くので、蛇紋石確定。

透明度が良く、磨けばすばらしい輝きを放つだろうが、蛇紋石は石綿を含む石。十分な知識が無いのに削ってはいけないしろものだ。


今季はそこそこあったような気がするが、それでも空振りがかなりあった。
まあ、ひすいなんてめったに拾える石ではない。5回行って、拾えることが1回あれば良いところだからな。


今季拾えたひすい① 小さいやつ 角が丸いので、別の石かもしれないが、ひすいの特徴がある。

今季拾えたひすい② クラックばかり多くて品質は良くないと思うが、灰色緑の良い色のもの。比重3.1。透過はほとんどなし。

今季拾えたひすい③ ひすいにしては珍しく透明感があるもの。一部宝石質。青海グリーンと言われる濃い青緑色の石。見た目は良くないが、今まで拾えた中でも最高品質に近い。比重3.02ぐらい。

2021年3月15日月曜日

今季はこれでひすい納め

 今日は山に行こうと思っていた。
しかし、乗鞍や駒ヶ岳の千畳敷などで、大規模な雪崩が発生したというニュースを見て、拾えないのはわかっていたが、海岸歩きに予定変更した。
これでおそらく、今季最後の海岸歩きになると思う。

まずは子不知から。予想通り、何もなし

場所を移して、歌から親不知高架下

ピアパークに向かって歩く。波が荒い。しかし何もない。

国道と高速道路がクロスしている

歌川の河口付近

何もないね

帰りは川を渡るのが怖かったので、国道を使った


市振にも寄ってみたけど、やはり何も無かった






2021年3月13日土曜日

ひすいについてのまとめ

 

ひすいシーズンも終了したことだし、今までの拙い経験から、私がなんとなく思っていることをまとめて書いておく事にした。

① ひすいは「青い光」を放つ石である。

糸魚川で拾えるひすいのかけらは、白、緑、ラベンダー(藤紫)、灰、黒、青がほとんど。
しかし、見える光以外に、白、緑、ラベンダー、青はかならず「青い光」を成分として持つ。
分光分析では、特徴的な青のスペクトルを確認できた。

② 黒には2種類ある

黒いひすいは、濃緑のものと、漆黒のものがある。
濃緑のものは「オンファス輝石」であり、ひすいではない。
黒の物はグラファイト(石墨)を含んだひすいである。
灰色は、グラファイトが薄いもの、他の鉱物に由来するもの、がある。

③ 光を透過するひすいはほとんど見つからない

光を透過するきれいな石は、ほとんどが石英質の別の石である(曹長岩であることが多いように思う)。
本物のひすいは見かけがきたならしく、みすぼらしく、思わず捨ててしまいそうになるぐらい平凡な石が多い。
光をきれいに透過するような石は、かなり少数派である。

④ 結晶はあてにならない

これが一番紛らわしい。ロディン岩、曹長岩、玉髄、ソーダ珪灰石などにはきれいな結晶が見られる。
また質の良いひすいは結晶が細かすぎて肉眼ではよく見えないことも多い。
「きらきらした結晶がある」からひすいである、ということは言えない。

⑤ 比重は判断材料としては使える

比重の軽いひすいは無い。ひすいが混じった石は当然比重が軽くなるが、2.9より軽いものはめったにないような気がする。

⑥ ひすいは「冷たい」石である

ひすいハンターで、突然口に放り込んで「舐めてみる」人がいる。
これはひすい独特の「冷たさ」を感じるためであろう、と思っている。
ひすいは温まりにくく、冷めにくい石である。

何かの参考になれば、幸いです。

2021年3月9日火曜日

海もだいぶ飽きてきたし



そろそろ3月も中盤。
今年のひすいシーズンも、終わりに近いかな。
春になると増水して川にひすいが流れてくる、と言う人もいるが、昔の話だと思う。
4月5月になると、波は静かになるが、そういう時にはあまり見つけたことはない。
今は川の上流に砂防堰堤もあるし、そんなに流れてこないのではないだろうか?

冬の日本海は大荒れになることがあるが、そのときに昔流れてきたひすいが、わずかに顔を出す程度なのではないだろうか?
今ではチャンスがあるとすれば、台風の後とか波でかき回された後にしかないような気がする。

これからの季節は波が荒れることはあまりない。

2021年3月8日月曜日

簡易分光器でひすいの透過光を分光

 スペクトラルビューワー(iPhoneのアプリ)

簡単にだいたいのスペクトルを計測できるものがないか、と探していると、上のようなアプリがあった。

早速、ひすいの透過光を計測してみる。

必要なものは、CD-Rの古いもの。これを回折格子(かいせつこうし)として使う。iPhoneのカメラに反射膜を取り除いたCDを固定すればOK。

CDROMには1600nmの幅で溝がある(1mmに625本)。これが光を分光させる回折条数となっているため、分光が発生するという。

古いCDを切る。切り口は非常に鋭いので、けがをしないように注意。

セロファンテープを保護面に張り付け、はがすとアルミの反射膜がはぐれてくる。これをiPhoneのレンズに角度を調整してセットすれば準備完了。

上記スペクトラルビューワーを起動し、cameraで黒い領域に発光試料を合わせて撮影し、graphを表示させると上記のようになる。
これは透過の良いひすいの透過光を分光してみたもの。

plotすると上記の分光グラフが得られる。600nm付近に山がある。

別のひすいで試してみる。スケールは調整可能。

これはネフライトの分光。

曹長岩の分光

青系ひすいの分光

もっと試料を増やさないと正確には言えないと思うが、ひすいの透過光にはあるパターンが存在することがなんとなく見えるような気がする。
この特徴は、誰かが言っていたような気がするが、独特の青色を持つ、ということだ。
感覚ではなく、分光分析によって特徴がわかることが確認できた。

今回試みたのは、研究室などで行われる赤外線や紫外線やX線によるものではないので、正確ではないが、大体のパターンが目にみえるのはありがたい。
可視光に基づいている、ということは人間の肉眼で確認できる差異である、ということである。

※ 追記
『魏志倭人伝』などで、ひすいが「青玉」と書かれ、「緑玉」や「碧玉」などと書かれない理由は、ひすいが強い青色成分を持つ石だからではないだろうか?
見た目は白に近い色でも、緑色でも、ひすいは青色を含んでいる石のような気がする。
この青色が他の石との違いなのではないか?
青は人間の目に対して、強いエネルギーを持つ。
長い間青い光を直接見ると、目にダメージを受ける。いわゆるブルーライトである(高エネルギー可視光線)。
スマホなどもこの光を発するので、最近何かと問題にされてもいる。
この光は人間の精神や睡眠リズムに関係するとされており、昔の人はその事を感覚で理解していたのではないだろうか?
ひすいはこのブルーライトを発する石なのではないだろうか?
ひすいが他の石と違う魅力を持つ石だと考えられてきた理由も、ここら辺にあるような気がしないでもない。

2021年3月6日土曜日

ひすいについて書くのは、お手上げになってしまった




 
ひすいについて、何か書こうか、と思ったのだけど、結局何も書けそうになくなってしまった。
ねたぎれというわけではないが(前にも書いたのだけれども)、ひすいという石があまりにもわかりにくすぎて、何がなんだか分からなくなってしまう事があるのだよね。

特にこの石が、ルビーやサファイヤみたいにきちんと「単体の結晶」として存在しているなら良いのだ。
しかしこの石はいろんな石に混じっているので「これがひすいだ」ということは、はっきり言えないからなおさらだ。
見ようによってはひすいである石、比重は軽くても混じっていることがある石、おなじ比重の別の石に混じっている石、があるのだ。
そこらへんにある石ころと、どう区別してよいのだろうか?

さらにほんのわずかしか科学的組成が違わない「曹長岩(アルビタイト)」は見向きもされない。
アルビタイトは海岸にたくさん転がっている。

かと思えば、どちらかと言えば蛇紋岩に組成が近い「オンファス輝石」によって、緑色に色づくひすいもある。
この石は、「カオス」という表現がぴったりな石だ。

「ひすい」だけを美しいと思える美意識が、私にとって理解しがたいものになりつつある。
普通の石とどこが違うのだ?
しかもひすいは美しいとは限らないのだ。もはや何がなんだかさっぱりわからない。

何億、何千億もありそうな石ころ。
その中から特定の成分を割と多く含み、美しい石を探す。
人間の認識力の限界との闘いみたいなものだ。

これについて、なにか書こうとすることに限界を感じてしまう。
書こうとする対象が、何か得体の知れないものなのだ。
それが自然だ、と言えばそうなのかもしれない。

自然がこれほどまでに複雑だとは思ってもいなかった、というのが正直な感想だ。

2021年3月5日金曜日

ABC予想 有限個しか存在しない

 

a + b = c

を満たす、互いに素な自然数の組 (abc) に対し、積 abc の互いに異なる素因数の積を d と表す。このとき、任意の ε > 0 に対して、

c > d1+ε

を満たす組 (abc) は高々有限個しか存在しないであろうか?

数学上の未解決問題である。
”2012年9月現在、ABC@Homeは2310万個の3つ組を発見しており…”
とあるので、今後多桁演算がもっと高速で出来る様になれば、さらに発見される可能性がある。
しかし無限個ある、と証明する前に、人類が地球から存在しなくなる。
理論上は無限個あるであろうが、それを証明する前に証明する人がいなくなるので、有限個しかない、ということにならないか?
自然数が理論上、無限個あるのと同じである。
しかし、数え上げる前に、数える人類はいなくなる。

バヌアツ付近での地震

USGS, Washiucho - 投稿者自身による作品, translation of File:Plates_tect2_en.svg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10692695による を加工して使用


「バヌアツ付近で地震があると、近い将来日本でも地震がある」という。プレート図を見てみると、それほど関係があるようには見えないが、6,7割の確率で起こっているようである。

今朝、ニュージーランドの北、ケルマディック諸島でM8.1の巨大地震が発生。津波の影響があるかもしれないので、海岸には近寄らないほうが良いようだ。

今年で10年前となる東日本大震災の時も、ニューギニアやニュージーランドで地震が発生していた。
南半球と北半球の地震は相関があるのか、とも思ってしまう。

地球の地殻は卵の殻のようなものだ、という。
ゆで卵をゆでて失敗すると殻にヒビが入り、割れる。
割れたところが反対側にまで行くことは余り無いようだが、殻をむく時、割れ目に沿って「カパッ」とむけることを考えると、反対側に影響を及ぼすことは、考えられなくもない。

とにかく、注意するに越したことはないと思っている。

2021年3月3日水曜日

海岸と賽の河原

佐渡の海岸にある「賽の河原」 

親不知から佐渡方面。ここから佐渡は見えることがないが、宮崎の大鷲山から条件の良いときのみ、見えることがあると言われている。

”賽の河原”はこの世とあの世の境目にある三途の川の河原である。
幼くして亡くなると、ここを渡ることが出来ないという。
何も出来ないので、せめて両親や兄弟やふるさとの人々を供養しようと思い、石を積む。
するとそこに地獄の鬼が現れて、そのケルンを崩していじめるという。

親不知の向こう側にある佐渡の「願」地区には、賽の河原があり、たくさんの石塔が供養されている。
青森の恐山の賽の河原では、風車を供養して亡くなった子供を弔う。

だれもいない、石のごろごろした海岸を彷徨していると、「ここは現世と違うんではないか」という錯覚に陥ることがある。
飲まず食わず、ふらふらで歩いているために、流木が人に見えたり、おかしな声が聞こえてくることもある(疲労の為にウミネコの声が人間の声に聞こえているのである)。
そこまでして、ひすいを探さなくてはならないことがあるのだろうか?

まさに、石拾いは賽の河原で石を積んでいるような「むなしい行い」に過ぎないのではないか?
一銭の金銭的価値もない、まさに石ころであるものを、まぼろしを追い求めるように、求めて歩く。
人生の縮図の様にも思えるこの行為が、与えてくれる「幸せ」とは一体何なのだろうか?