2021年12月30日木曜日

気弱の克服


 山登りでもすれば、気弱の克服が出来るか、と思ったけど、生まれついた性格というのは、変わらないものだ。

何十回、単独で行っても、気が弱い性格はそのまま。

性格というものは、人に言われても変わるものでないから、欠点を指摘されると、辛いよね。

ひすいの徳に護られた一年

 


今年はひどい年だった。まずは新型コロナ。
今年初めから、感染拡大は止まらず、8月のオリンピック時にピークを迎えた。
デルタ株は強力であり、なかなかワクチンが行きわたらないまま、不安な日々を過ごした。
オリンピックによって、日本が感染大爆発を起こす可能性も皆無ではなかったと思う。
しかし幸運にも、そのような事態には陥らなかった。
私は幸運にも新型コロナに感染する前に、ワクチン接種を受けられた。
日本の国に生まれてよかった、と思う。ひすいが護ってくれたような気がする。
感謝しかない。

しかし今後、経済がもとの姿になるには、かなりの期間を要するであろう。
新型コロナが与えたダメージは、深刻という他はない。
また、新型コロナを境に、社会のしくみが大きな転換を強いられるだろう。

これまでのように、「個」を大切にしない会社は無くなり、欧米の社会のように変わっていくだろう。
人間、集団の力の無力さが、これほど感じられた年はないのではないだろうか?

集まれば「三密」になる。それを回避するためには、集まってはいけないのだから。
だがそれは、「何のために集まっているのか」という集団の意味を問い直すきっかけにもなった、と思う。

今年もあとわずか。来年はどのような年になるのか、まったくの未知数である。

今年は「変革」の年であった。いままでのやり方がまったく通用しない年であった。

2021年12月27日月曜日

映画 八甲田山


年末になると見たくなる映画。
新田次郎「八甲田山 死の彷徨」という小説の映画化だが、当時大ヒットした映画だ。

明治時代、日露戦争の「寒地訓練」のために、真冬の八甲田山を踏破する計画が立てられた。
弘前第31連隊と青森第5連隊が実施し、弘前31連隊は少人数で実施、青森5連隊は総勢210名という中隊編成で臨んだ。
青森5連隊は大隊長も同行した。おおきな集団であり、指揮系統もうまく働いておらず、案内人の申し出も断った。
そのため、極寒と吹雪の中で遭難し、生存者は12名だけだったという。
一方の小隊編成で臨んだ弘前31連隊は、案内人も確保し、27名のうちの1名の負傷者を除き、全員が踏破した。

人間は大きな隊になると、統制が取りにくくなる。ましてや厳しい条件ならなおさらだ。
よく「出発する前に、遭難している」と言われる。まさに青森5連隊はそうだったようだ。

それにしても当時はゴアテックスのウエアも当然無く、足の冷えを防ぎ、凍傷にならないようにするために「とうがらし」をすり込んだりしていたようだ。
そのような装備で、真冬の八甲田山に入るのは、地元の人間でも「命知らず」の行いだったようだ。
毎年、八甲田山周辺は5mやら6mの積雪があるような場所だ。
27名の小隊編成であったとはいえ、明治時代にこの条件の中を踏破したことは、賞賛に値すると思う。
昔の日本人は強かったのだな。

しかし生き残った方々も、日露戦争でほとんどが戦死なさったという。

日本が近代国家になる時に起こった悲劇である。

追記:
雪中行軍隊の生き残りである小原元伍長の『八甲田山 消された真実』という本があることを知った。
これによれば、実際の雪中行軍は映画や小説より、かなり悲惨なものだった。
映画では「ヒーローと悪役」になっている第31連隊の指揮者も、第5連隊の指揮者も、ともに「映画のようなかっこいいヒーロー」ではなかった。
第五連隊は目的地も分からぬまま、貧弱な装備で出発したようだ。
「踏破した」31連隊も、実際には案内人にも相当無理を強いていた。
ほんとうは「ヒーローなど、どこにもいなかった」のだ。

人間はなぜ、集団になるとこのような無謀な行いを強いるのか。
映画の中でも、そのことが訴えられていたが、実際に見た人にとって、その感はより強いものであったはずだ。

人間という存在はそんなに強いだろうか?
個人であろうと、集団になろうと、人間は大自然の力にとうてい勝てる存在ではない。

無謀なる人達よ。誰もが「君たちのように、強い人間ばかりではないのだ」。

自我のインフレーションを起こし、「無敵の人」になってはいけない。
多分、それは自殺行為になるし、多くの人を巻き添えにするだろう。

2021年12月26日日曜日

こころの安定

 


自分が分からなくなる時がある。辛いとき、苦しいとき、どうすればよいか分からなくなった時など。
そういう時は、その状況と戦うのがよいのか?私はそうは思わない。

昔はたしかに状況と戦ってきたように思う。その状況を「なんとかせねば」と思い、パニックになり、自分の全力を尽くしてやってきたように思う。

山に登るようになって「ひょっとしたら、それはまちがいだったのではないか」と思えるようになってきた。
自分の目指す山が「あきらかに自分の実力を超えた山」だったり「条件が厳しすぎていけない山」だった場合、登山だったらどうするだろうか?
当然「撤退」するしかない。

そのまま「前進」すれば、死んでしまう。
ちゃんとした装備や、その条件に確実に対処できる自信がなければ、前に進んではならない。
基本は自分を「守る」ことが必要だろう。

どうだろうか。勇気ある撤退は「逃げ」だろうか?

2021年12月23日木曜日

年末年始の富山は危険な状況になる



 
週間天気予報を見ると、25日ぐらいから降雪が始まり、29日ぐらいに気温が上がって雨になり、その後また雪が降る、という「最悪の」経過をたどると思われる。

年末年始に富山で登山をしたいと思っているひとも多いと思うが、経験上、やめておかれた方が身のためだ、と思われる。

理由は、

1.今まで気温が割と高かった日もあり、「寒暖差がかなり激しい」。
2.ドカ雪となる可能性がある。
3.表層雪崩の起こる典型的な気象条件である。

このような状況で山に入るのは「無謀」だと思われる。
年末年始には毎年「必ず」誰かが遭難している。
富山の山は北アルプスの北端部であり、雪の量も多く、湿気も高いため、雪が重い。
もし雪崩に遭えば、命は無いだろう。

天気予報を見て、良くない予感がしたので、書いておくことにした。

無謀なことはしない

 


たしかに怯えてばかりいては、何事も前に進めない。
しかし、大荒れの山に登るには、それなりのリスクもあるのだ。

何かをするときには、慎重さが肝心だ。

今まさに降雪している山に登るのは、最も危険な行為だ。
雪が降っている時は、表層雪崩の危険がある。
これはあらゆる雪崩の中で最もスピードが速く、破壊力もある。
BCをやる人たちなどは、パウダーを求めて、このような時にでも山に行くらしい。
敢えてその危険の中に飛び込んでいく。「今日みたいな条件の良い日は無い」と言いながら。

わたしは気が小さいので、とてもではないが真似は出来ない。

人生には危険を回避することが必要なことはないだろうか?
(アドラー流心理学に言わせればそれは「逃げ」でしかないことになるだろうが)
そこを超えなければ、人生における「向上」は無い、と言うだろう。

だからといって、我が身の実力も考えずに、その中に飛び込んで行って、結果として遭難し、救助のために多くの人々を危険にさらしたとしたら、それはただの「わがまま」ではないか。

「自分で好きで行ったんだから、放置しておけばよい」という人もいるが、遭難すれば誰かが救助に行かなければならない。日本の国ではそういうことに決まっているのだ。

アドラー流の心理学のいう事を、実践したければしてみると良い。
しかし、それは「自己責任」の範囲を超えて、周り中の人に迷惑を及ぼすこともあり得る。

2021年12月22日水曜日

自立心

 


わたしのような世代の人間は、自立心旺盛な若い人には理解されにくいだろうな。
わたしが生きてきた時代において、少なくとも私の過ごしてきた環境では「自分の意見を述べる」事がとっても難しく、上司に物申すことは組織に対する「反逆」に等しいことであった。

だが、今の時代は比較的自由にものが言えるらしい。
良い時代になった、と思う。
私の欠点を指摘してきた若い人は、私の生き方を「卑怯だ」と言う。

そうではないのだよ。

私だって、君たちの様に、自由にものを言えたら、と思う。
普段言えないからこそ、ブログなんか書いて、心の中に鬱積した「ほんとうに言いたかったこと」を書いているのだ。

昔の時代は、上司の言われたことに自分の意思を決して挟んではいけなかった。
そして、上司の思いを先取りではないが、その意図を読み取り、相談しながらものごとを進めていったものだよ。
「自分」というものは、そういう組織の一部であったのだ。

だが、今はそうではないらしい。
そうだとすれば、組織から離れて、やることが善だというのだろうか。

今の時代は、より自分の意思を出せるひと、の方が良いらしい。
まさに、むかし私が理不尽な環境の中で、「そうであってほしい」と思っていた姿になってきているのだ。
それに関しては、喜ばしいことだと思う。
しかしながら、その人を支えてくれる存在はどうしても必要だろうと思う。
その存在を、確保した上でないと、私だったらなかなかものは言えないな。

それと、やることの内容の細部よりも、大切な事があるのではないか、ということに気づいてほしいな。
若い人に、その組織の外側を含めて、全体をおちついて見ろと言っても、なかなか難しいとは思う。

私は何を言われても、あえて反論は述べない。
黙って受け止める。
自由にものを言える、ということは、すばらしいことだ、と思っているから。

若い人にはこう言いたい。「私のようになるな」、そして「私のような人間をつくるな」と。

2021年12月12日日曜日

本質を見分ける事は難しい

わずかな特徴によって、そのものが何であるか、見分けるのは非常に困難だ。
例えば、同じ似たものがある中で、ひすいだけを見分ける場合がそうだ。
まあ、初めてだと、他の石とほとんど見分けが付かないだろうと思う。
下の石などは、「きれいな石英」あるいは「きれいな曹長岩」とほぼ見分けが付かないだろう。
それほど、ひすいと他の石は良く似ているのである。


何回も海岸に通い、たくさん騙されてみないと、それは分からない。
たぶん人生も同じで、最初のころは騙されてばかりいても、経験を積めば本物だけを選別することもできるようになる。
だから、「無駄足」ということはない。何事も、回数を重ねれば、その本質が見えてくる。
それがひすい拾いの醍醐味でもあり、人生の醍醐味でもある。
「失敗した。これで人生は終わりだ」ではなくて、その失敗を「本質を見分けるための学習機会」ととらえると、人生は楽しいものになる。


おそらく、どんなに本質が見抜けるようになっても、完璧ということはない。
もしも完璧に出来るひとがいたら、その人は超人である。そういう人もいないことはないが、まれである。
また、その人が「出来ること」について、「本当に楽しんでそれをやっているのか」は、誰の目にもわからない。
本人が望んでいなくとも、ある能力について、非常に優れている人がいるものだ。


 物事の本質を見分けるのは難しい。しかし、何事も「実際に経験」してみないと、難しいのか難しくないのかもわからず、楽しいか楽しくないのかすらもわからない。

なんでも「やってみる」のが良い。そして継続することが大切だと思う。

2021年12月7日火曜日

この石をひすいと判断してもよいのか?

以前にも書いたように、きれいだと思った石がひすいだと私は思う。
しかし、「鉱物としてのヒスイ輝石」であるかどうか、となると、イメージと実際が一致しない場合もあるだろう。
例えば、以下のような石は、ヒスイ輝石岩である、としている人もいるようだ。
角があり、比重があり、硬い。しかしながら、私はこれをひすいだとは判断したくない。
自分の感覚だが「ひすい独特の雰囲気」がない、と思うからだ。この感覚は全くの主観である。
私の中では、この石は「ロディン岩」に分類されるし、実際今までそうしてきた。
「きれいだ」と思わせる何かがないと、その石に対して、どう向き合ってよいのか、わからなくなるからである。
ひすいは「徳」のある石であり、何も感じられない場合、その存在を特別の存在とは出来ないのだ。

比重がヒスイ輝石の理想比重(だいたい3.3程度)であり、ひすいに見える。しかし、何かが違う。

もし上の石がヒスイ輝石岩であるとすれば、この石もヒスイ輝石岩だという事になる。

私がひすいだと思っている石は、この写真のような石だ。独特の雰囲気がある。この雰囲気は「勘」でしか分からない。

2021年12月6日月曜日

勝山 条件は割と良かったが砂多し

今日は久しぶりに勝山でひすい拾い。引き潮で条件は割と良かったはずだが、砂だらけ。
やはり青海川河口の整備で、砂浜が出来るようになったからだろう。これからはあまり期待できそうもない。
石の質もあまり良くないようだ。しかし、比重を計ってみたら理想的な石が多かった。しかし、ロディン岩も、ヒスイと比重が同じである。

冬になり、波も大分荒くなってきて、ひすいが打ちあがるようになってきた。
しかしこれは「非常に波の力が強い」ことを意味する。
油断すれば、大荒れの海中に引きずり込まれる。
また、今日はうねりが強く、何回かに一回は、非常に高い波が来ていた。

ひすい拾いを始めた頃は波の怖さが分からず、かなり沖の方を探していた。
しかしだんだん回数を重ねるにつれ、恐ろしくてそういう危険なことは出来なくなってきた。
たとい救命胴衣を着けていたとしても、あの波では助かるかどうか分からない。

以前「ひすい拾いは、サーフィンに似ている」と書いたことがあるが、常に波に注意していないと、思わぬ危険にさらされることになる。
有名なサーファーのグレッグ・ロングが波の中で感じたことを思い出し、謙虚な姿勢で海岸に降りなければならないことを再認識した。

今日拾った石たち。上がひすいかロディン岩。下は曹長岩と石英。

比重3.2の白い石。ロディン岩にも見える。透過色が青くない。

比重3.2 結晶キラキラの石。結晶が荒いので、すごく良質な石、とは言えない。

上の石の結晶。比重があるので、曹長岩ではない。

比重3.02の石。一部に結晶が見えるが。

透過色は非常に良い。今日拾った中で一番良いと思う石。