わずかな特徴によって、そのものが何であるか、見分けるのは非常に困難だ。
例えば、同じ似たものがある中で、ひすいだけを見分ける場合がそうだ。
まあ、初めてだと、他の石とほとんど見分けが付かないだろうと思う。
下の石などは、「きれいな石英」あるいは「きれいな曹長岩」とほぼ見分けが付かないだろう。
それほど、ひすいと他の石は良く似ているのである。
何回も海岸に通い、たくさん騙されてみないと、それは分からない。
たぶん人生も同じで、最初のころは騙されてばかりいても、経験を積めば本物だけを選別することもできるようになる。
だから、「無駄足」ということはない。何事も、回数を重ねれば、その本質が見えてくる。
それがひすい拾いの醍醐味でもあり、人生の醍醐味でもある。
「失敗した。これで人生は終わりだ」ではなくて、その失敗を「本質を見分けるための学習機会」ととらえると、人生は楽しいものになる。
おそらく、どんなに本質が見抜けるようになっても、完璧ということはない。
もしも完璧に出来るひとがいたら、その人は超人である。そういう人もいないことはないが、まれである。
また、その人が「出来ること」について、「本当に楽しんでそれをやっているのか」は、誰の目にもわからない。
本人が望んでいなくとも、ある能力について、非常に優れている人がいるものだ。
物事の本質を見分けるのは難しい。しかし、何事も「実際に経験」してみないと、難しいのか難しくないのかもわからず、楽しいか楽しくないのかすらもわからない。
なんでも「やってみる」のが良い。そして継続することが大切だと思う。