年末になると見たくなる映画。
新田次郎「八甲田山 死の彷徨」という小説の映画化だが、当時大ヒットした映画だ。
明治時代、日露戦争の「寒地訓練」のために、真冬の八甲田山を踏破する計画が立てられた。
弘前第31連隊と青森第5連隊が実施し、弘前31連隊は少人数で実施、青森5連隊は総勢210名という中隊編成で臨んだ。
青森5連隊は大隊長も同行した。おおきな集団であり、指揮系統もうまく働いておらず、案内人の申し出も断った。
そのため、極寒と吹雪の中で遭難し、生存者は12名だけだったという。
一方の小隊編成で臨んだ弘前31連隊は、案内人も確保し、27名のうちの1名の負傷者を除き、全員が踏破した。
人間は大きな隊になると、統制が取りにくくなる。ましてや厳しい条件ならなおさらだ。
よく「出発する前に、遭難している」と言われる。まさに青森5連隊はそうだったようだ。
それにしても当時はゴアテックスのウエアも当然無く、足の冷えを防ぎ、凍傷にならないようにするために「とうがらし」をすり込んだりしていたようだ。
そのような装備で、真冬の八甲田山に入るのは、地元の人間でも「命知らず」の行いだったようだ。
毎年、八甲田山周辺は5mやら6mの積雪があるような場所だ。
27名の小隊編成であったとはいえ、明治時代にこの条件の中を踏破したことは、賞賛に値すると思う。
昔の日本人は強かったのだな。
しかし生き残った方々も、日露戦争でほとんどが戦死なさったという。
日本が近代国家になる時に起こった悲劇である。
追記:
雪中行軍隊の生き残りである小原元伍長の『八甲田山 消された真実』という本があることを知った。
これによれば、実際の雪中行軍は映画や小説より、かなり悲惨なものだった。
映画では「ヒーローと悪役」になっている第31連隊の指揮者も、第5連隊の指揮者も、ともに「映画のようなかっこいいヒーロー」ではなかった。
第五連隊は目的地も分からぬまま、貧弱な装備で出発したようだ。
「踏破した」31連隊も、実際には案内人にも相当無理を強いていた。
ほんとうは「ヒーローなど、どこにもいなかった」のだ。
人間はなぜ、集団になるとこのような無謀な行いを強いるのか。
映画の中でも、そのことが訴えられていたが、実際に見た人にとって、その感はより強いものであったはずだ。
人間という存在はそんなに強いだろうか?
個人であろうと、集団になろうと、人間は大自然の力にとうてい勝てる存在ではない。
無謀なる人達よ。誰もが「君たちのように、強い人間ばかりではないのだ」。
自我のインフレーションを起こし、「無敵の人」になってはいけない。
多分、それは自殺行為になるし、多くの人を巻き添えにするだろう。