2021年12月22日水曜日

自立心

 


わたしのような世代の人間は、自立心旺盛な若い人には理解されにくいだろうな。
わたしが生きてきた時代において、少なくとも私の過ごしてきた環境では「自分の意見を述べる」事がとっても難しく、上司に物申すことは組織に対する「反逆」に等しいことであった。

だが、今の時代は比較的自由にものが言えるらしい。
良い時代になった、と思う。
私の欠点を指摘してきた若い人は、私の生き方を「卑怯だ」と言う。

そうではないのだよ。

私だって、君たちの様に、自由にものを言えたら、と思う。
普段言えないからこそ、ブログなんか書いて、心の中に鬱積した「ほんとうに言いたかったこと」を書いているのだ。

昔の時代は、上司の言われたことに自分の意思を決して挟んではいけなかった。
そして、上司の思いを先取りではないが、その意図を読み取り、相談しながらものごとを進めていったものだよ。
「自分」というものは、そういう組織の一部であったのだ。

だが、今はそうではないらしい。
そうだとすれば、組織から離れて、やることが善だというのだろうか。

今の時代は、より自分の意思を出せるひと、の方が良いらしい。
まさに、むかし私が理不尽な環境の中で、「そうであってほしい」と思っていた姿になってきているのだ。
それに関しては、喜ばしいことだと思う。
しかしながら、その人を支えてくれる存在はどうしても必要だろうと思う。
その存在を、確保した上でないと、私だったらなかなかものは言えないな。

それと、やることの内容の細部よりも、大切な事があるのではないか、ということに気づいてほしいな。
若い人に、その組織の外側を含めて、全体をおちついて見ろと言っても、なかなか難しいとは思う。

私は何を言われても、あえて反論は述べない。
黙って受け止める。
自由にものを言える、ということは、すばらしいことだ、と思っているから。

若い人にはこう言いたい。「私のようになるな」、そして「私のような人間をつくるな」と。