2020年8月26日水曜日

加藤文太郎は孤独ではなかった

https://nebukurou.com/buntarou-katou/ (参考サイト)

新田次郎の小説『孤高の人』で有名な加藤文太郎は、昭和の初め頃、それまで日本でだれもやっていなかった単独行登山を始めた人である。

生前にメモを残しており、これが『単独行』というタイトルで青空文庫(著作権が切れた著作を公開しているサイト)で読める。ただし、文庫本になっているもののように、編集されていないので、読みにくい。しかし彼の真意を探るためには、元資料に当たるのが一番であろう。

彼はこの中で以下の様に言う。

単独行者は夏の山から春―秋、冬へと一歩一歩確実に足場をふみかためて進み、いささかの飛躍をもなさない。故に飛躍のともなわないところの「単独行」こそ最も危険が少ないといえるのではないか。

小説の影響か、加藤文太郎は無謀な単独行を繰り返していたように思われがちであるが、実際のところ、その登山は実に慎重であり、一足飛びに難易度の高い登山には進んでいない。

また、常に単独で行動していたわけではなく、 自分が苦手とする雪の付いた岩場に挑むときには、同伴者を伴っている。実際彼が槍ヶ岳の北鎌尾根で亡くなった時は、吉田冨久氏を誘って(吉田氏が誘ったわけではないらしい)入山していたらしい。
このように加藤の行動は慎重であり、それゆえに無謀な単独行はしていない。

(山友達とともに春になった四月の三、四の両日に前穂高の北尾根を登り、奥穂高へ辿る途中において凍傷にかかり、槍ヶ岳方面を抛棄して穂高小屋から下ったのである)。以上冬期でないものおよび単独行でないもの(カッコ内のもの)も列記したが、これによって見ればほぼ容易な山行から漸次困難な山行へ進んでいるといえよう。

加藤は「単独行が悪いことだと思ってやるな。もしもそう思うならやめよ」と言っている。
彼にとって単独行とは、そうすればより安全で効率的である、と思われる場合に取られる登山スタイルの一つにすぎず、決して単独行にこだわっていたわけではない。
あくまでも彼が登りやすいスタイルで登っていただけの事ではないか?
彼ほどの体力、脚力がある場合、同行者の存在はかえって足手まといになり、より危険因子を増やすだけであるから。

最後に彼は以下のような言葉を残している。 

だから単独行者よ、見解の相違せる人のいうことを気にかけるな。もしそれらが気にかかるなら単独行をやめよ。何故なら君はすでに単独行を横目で見るようになっているから。悪いと思いながら実行しているとすれば犯罪であり、良心の呵責を受けるだろうし、山も単独行も酒や煙草になっているから。良いと思ってやってこそ危険もなく、心配もなくますます進歩があるのだ。弱い者は虐待され、ほろぼされて行くであろう。強い者はますます強くなり、ますます栄えるであろう。

 単独行者よ強くなれ!

ドイツ語で単独行のことをAlleingänger(アラインゲンガー)と言う。
今ではこの言葉を使う人はいなくなって、たいてい「ソロ」と言われている。

確かに単独行はいろいろな面で危険を伴い、より迷惑をかけることもある。
しかし「悪いと思って」やることは良くない。
なぜなら、自分にとってそれこそが最適な登山スタイルなのであるから。

また彼は立山に登った時、室堂で立山の案内人(中語と言われていた)に嫌われ、口も訊いてもらえなかった経験を書いている。
案内人にとって、彼のような存在が認められ得なかった事情はわかるが、もっと丁寧に質問に答えてあげればよかったのではないか、とも思える。
よそ者に厳しい富山県の県民性が表れているエピソードであり、同じ県民として片腹痛い。
このような経験が、彼をより単独行へと導いたのかもしれないなあ、と、何となく思った。