2020年11月2日月曜日

縄文人になった気持ちで

 


私がBloggerでブログを書くようになってから、3年も経つんだよね。実に早い。さすがGoogleだけあって、安定性は格段によく、広告(国内サービスだと、ターゲティング広告で結構不快な広告が出ることがある<自分のせいか(笑))は出ないし、操作は単純、HTMLやCSSの知識があれば、思う存分カスタマイズできるし、とても気に入っています。
以前書いていたWordPress.comも素晴らしかったが、広告が出るようになってしまったのだよね。
Bloggerは難しいと言われるが、欧米ではBloggerの方がメジャーな存在なんだぜ。
ブログ書くなら、noteよりもBloggerだよ、と宣伝しておく(笑)。

余談はさておき、本題に戻ろう。

今はコロナ禍の影響で、石を鑑定してくれていたフォッサマグナミュージアムの「石の鑑定」サービスがお休み中である。
ということは、自分で石の見分けが出来るようにならないと、「ひすい拾い」は難しいということである。
以前からしばしば書いているように、ひすいと曹長岩、ロディン岩、石英その他の「きつね石」との判別は、極めて難易度が高い。

一発でひすいと分かる石ならばよいのだが、そういう石は現在の海岸には、ほぼ存在しない、と思っていただければ間違いないと思う。
海岸への土砂の投入、上流の治水工事、海流の変化、防波用テトラポットの投入などで、海岸に打ちあがるひすいが激減しているのが主な原因だろう。

年々難易度が上がっているひすい拾いだが、これは昔の人にとっても同じだったようだ。

よく引用される万葉集の
巻13-3247
沼名川(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾(ひり)ひて 得し玉かも 惜(あたら)しき 君が 老ゆらく惜しも 

という歌からは、当時姫川の底からヒスイを拾ったことがうかがわれる。つまり、海岸で簡単に拾えたわけではなかったのだ。万葉集の時代にはすでに苦労しないと得られなかったと思われる。

これを見てしまったら、今拾えるひすい混じりの石など、そこらへんに転がっている石ころと同じである。

昔の人は、どのようにしてこれらの石を探したのであろうか?
まず、例えばブラジルの先住民などは、自然に対する知識が非常に豊富であり、それだけで辞書を作れるぐらいの動植物、鉱物などに対する知識を持っていると言われる。
彼らが日常的に自然に接し、どの動植物が生活の役に立つのか、またどれが危険なのか、ということが重要であるために、このような知識をたくさん持っているのであろう。
それらが単に知識としてだけではなく、様々な記憶を記録するための記号として使われているとも言われる。
彼らは現代の科学者と同じような視点から、それらを整理し分類しているのである。

だとしたら、縄文人もそのような視点を持っていたのではないか、と思うことはあながち間違いではないと思う。
そのような視点を昔の日本人が持っていたなら、私の中にもそれがあるはずではないか?

今度行くときは「縄文人になったつもりで」、海岸を歩いてみたいと思っている。