2020年11月16日月曜日

技術は設計図でしかない

なかなかコロナ禍がおさまらず、テレワークの比率がふえている。
これは仕事をしていることになるのか、あるいは、仕事をする計画をしている仕事なのか、境界があいまいである。
普通に現場に出て、多くの人と接し、「社会活動」をすることが出来ない以上、結局は自分の脳内での技術をパソコンに移しているだけの作業ではないか?
「技術」は持っているだけではただの設計図でしかない。
実際の場面で運用してこそ、意味があるものである。

先行きが見えない現状を嘆いていても仕方がないが、今の状況がずっと続くことを考えると、暗澹たる気持ちになる。政府やマスコミは少しでも明るい情報を発信しようと必死になっているが、人が集まれば感染爆発が発生し、多くの人々に死をもたらすウイルスが蔓延しているかぎり、普通の社会活動をすることはできない。

押しつぶされそうな気持。
下の写真はひすいが圧縮されて石の間にばらばらに含まれている「圧砕翡翠」と思われる石。
今の気分にぴったりな石なので、載せてみた。

ほとんど曹長岩であるが、一部にひすいが見える。ぼこぼこしていて削られていない白い部分がひすいだと思う。

光をよく通すのは、石英の特徴。曹長岩はひすいとちがって石英を含む。曹長岩とひすいが共存するのは、糸魚川の石の特徴だそうだ。圧砕タイプのひすいは見た目がワイルドで、アクセサリー用には使えない。台でもこしらえてそのまま鑑賞するか、盆栽の飾り石として使えば映えるだろう。