2019年11月28日木曜日

境界 境 この世とあの世


一度死亡宣告を受けて、また生き返った人の話をまとめた本によれば、臨死体験をした人々にはいつも共通するイメージが現れるという

川やお花畑、なんとも言えないような安らぎ、そして比較的多いのが「トンネル」体験である。
トンネルのような暗い場所を通ると、目を開けていられないほどまぶしい光に覆われ、そこに誰かが居て、怖がらなくても良い、と言うらしい。
その存在に出会うと、非常な安らぎを感じると言う。
昔の書物、仏教の経典などではこの存在を「阿弥陀仏」と解釈したり、「キリスト」であると解釈したりするものが多い。

また逆に恐ろしい存在であるヤマ(閻魔)が現れて、その人を責めるというパターンもあるという。



科学的には脳内物質の異常によって起こされる幻覚であるが、人間の脳に同じようなイメージが刷り込まれているのは不思議だと思う。

トンネルというのは、山を貫通する。山は現実の世界でも「境界」になっている事が多い。市の境、県境、そして以前は国境であった。
特に親不知という地域は現在でも、海と山、西日本と東日本、空と海、県境となっている。また川の河口にあたるため、海と川の境でもある。
このように、非常に多くの「境」が集中する場所なのである。こういう場所は日本全国探してもなかなか無い。
この地域に魅せられて何度も通っているが、全く飽きることがないのは、このような特殊な環境であるからだと思う。

室町時代にはここを舞台として能の名作「山姥」が作られ、江戸時代には松尾芭蕉も奥の細道からの帰りここを訪れ、俳句を詠んだりしている。小説家の水上勉も親不知が好きで何度も訪れている。

ここを越えると「異界」に入る。今までとは全く別の、新たな世界に行くのである。



旧北陸本線の親不知トンネルを歩いていると、かつてここをどれほどの人が蒸気機関車に乗って通ったのだろうか、という思いがとめどなく湧いてきた。

北陸地域から東京に行くには、このトンネルを通らなければならない。
召集されて戦地に赴く兵士、就職列車、大学生、いろいろな事情を抱えて、このトンネルをくぐって、あらたな世界に行ったのである。
その思いが、ひしひしと感じられた。これらの人々はみんな今は生きてはいない。
こういう思いが感じられた、ということは彼らの霊魂がこの場所に宿っているからかもしれない。

私もいずれは生と死の境界を越えて、新しい世界に行くであろう。
「境界」は越えなければ先に行けない。
その先には、どんな世界があるのだろう。
楽しみである。