そもそも、人生と言うのは思い通りに行かないものだ。
計画していたことが実行できなかったり、区分をしっかり分けたつもりが守られなかったり。
そんなことは日常茶飯事なのだが、そのような「思い通りに行かない」ことに腹をたて、混乱する人たちがいる。
登山でも最初に「登山計画」を立てなければならない。
何時何分までにA地点を通過し、山頂は何時、下山は何時、エスケープルートはどこどこ、食料、水の量など、たくさん計画しなければならない。
しかし、実際に登山を開始すると、予定通りにはいかないことがほとんどだ。
途中で水や食料が足りなくなることすら起こる。
「計画」とは大体の目安であって、その通りに行くことはない。
しかし中には「計画通り」に無理にでも進めなければ納得いかない、という人々が存在するらしい。これらの人たちは多少無理な行程でも計画に合わせてしまう。
これは刻々と状況が変わる登山においては致命的な間違いを起こす可能性もある。
逆に「計画」通りに行かないという理由で早々に撤退する人もいる。
どちらも登山にとっては良いことではない。
前者は事故を誘発、後者は登頂できたのにできない、ということになる。
これでは「計画」した目的である登山をなしとげることは出来ないではないか?
人生でも何でも、いったん進みだしたらある程度「臨機応変」な対応を取らなければならない場合が必ずある。思いもかけないアクシデントが良く発生する。
しかし頑なに当初の計画に沿って進める人がいる。
個人の場合は臨機応変の対応を比較的取りやすいが、それが集団になるとなかなか機動的な対応は難しい。
その場合、チーム全体が沈没する可能性がある。
登山の場合、下手をすると全滅する可能性もある。それでは、なんのためにチームを組んで登山しようと思ったのか、全く分からなくなってしまう。
リーダーがしっかりした人で、チームがまとまっていれば、それは個人の何倍もの力を発揮するだろう。
逆にバラバラなチームであれば、これはしっかりした個人にも劣る、ということになる。
立派なリーダーはまず落ち着いて全体の向かう方向を示し、先頭を歩く人であろう。
その人についていけば目的地に行けるし、集団の中の意見の不一致もうまくまとめてバラバラにならないようにするだろう。
時には分派することもあるだろう。しかし人間はひとそれぞれである。
完全に一致することはない。無理に恐怖や威嚇を用いてでも集団をまとめようとするグループもあるだろうが、それを維持するためには、多くのメンバーの犠牲を払うことになる。
そんなグループにはだれも居たいとは思わないし、いったんそういう方向に行こうとしているならば、たいていは嫌がって出ていくだろう。
独裁者は最後には排除されることは、歴史が証明している。
思い通りに行かなくて腹をたてる人たちは、どこか「独裁者」に似ている。
無理に思い通りにしようとすれば、そのつけは必ず後になって帰ってくる。