2023年1月4日水曜日

新年にみた映画

千年女優

2001年のアニメーション映画(もう22年も前の作品なんですね)。
今は亡き天才アニメーター今敏の作品の中でも、最高傑作といわれている。
ただ、見る人によっては評価が分かれる。
「意味が分からなくてつまらなかった」「ストーリーが単純」とか言う人もある。
まあ、映画の評価なんて、ひとそれぞれだから。

見る人が良い、と思える作品が良いのである。
あたかも、海岸の石ころのように。
私のみたところでは、この作品は最高の「ひすい」である。
とくにこの作品は、あらゆるアニメーション作品のなかでも最もすばらしいものである。

今敏自身によるインタビューへの回答が残されている(こちらをどうぞ)
これによれば『千年女優』は日本映画に対するオマージュではない。
だまし絵的手法がこの映画のカギになるのだが、今さん自身によれば日本の歴史というものを、実感するための表現なのだという。
大きなテーマであり、どのような表現手法を使おうとも、正確にその実像を表現することは難しい。しかし、過去のことである、という理由だろうか、特定の時代の場面を重層的に配置し、素早く切り替えることで、「過去」という得体のしれないものを、非常にうまく表現している。
人間にとって、過去はそもそも断片的であり、その方が、現在からみるとよほどリアルな過去なのだ。だからこの映画を見ていても、あまり違和感はなく、「現在から感じる過去」というのは、素直にみれば頭の中でこのように、重層的な構造になっているのではないか、と思えてしまうのだ。

「歴史」は一直線に進むものではなく、繰り返されたり、急に変化したりする。
それが「過去にあったこと」に関係して生み出されている。
人間の深層心理は、そのような構造をしている。
過去の積み重なったものが現在である。そしてそれは表面に浮かび上がったり、消えたりする。まるで熱湯を入れた紅茶の葉が、浮かんだり沈んだりするように。
そしてそれが現在を作っている。
それは人間という存在の、限界なのだろうか?
事実、この映画の中には不気味な老婆が出てきて、それをあざ笑う。

また劇中に出てくる「かぎ」の意味は深い。
あの「かぎ」は、大切なものを開けるための「かぎ」らしいが、結局それは最後まで使われない。一体何を開けるための「かぎ」だったのだろうか?

今敏さんはこの作品を作った9年後、すい臓がんで46歳の生涯を閉じられた。
ほんとうに残念なことである。ご本人もまだまだ仕事をしたかったようだ。
しかし、自然の理というか、そういうものは、彼が仕事を続けることを許さなかった。
もしご存命ならば、どんな世界を見せてくれていたことだろうか?