この間観た『千年女優』の監督、故今敏はやはり人間の「無意識」の世界に関心を持っていたらしく、カールグスターフ・ユングの論文を読んだこともあるらしい。
そのころ平沢進の音楽にも触れて感激し、それ以来、平沢の音楽にあわせて映像を作るようになったとも。
そうか、ユングか。
私も大学に入りたてのころ、教育原理か何かの講義でユングを知り、『ユング選集』『原型論』などを読みふけった。
ユングはフロイトの弟子であるが、師匠と意見が対立し、「分析心理学」を創始した。
内容はとても「神話的」で、そのためかオカルトマニアの人からの受けが結構よかったという。しかし本人はそれを嫌っていたようだ。実際自分の研究を進めていった結果、たまたまオカルトに近いものになってしまっただけだろう、と思われる。しかしながら最初期の論文に『心霊現象の心理と病理』などがあるが、そういうものを扱ったのは事実である。
フロイトが発見した「無意識」の世界をどのように解釈するか。ユング当時の思想界はそういう方向を向いていたのは確かで、人間心理の中の「未知の領域」に非常な関心を示した時代でもあった。
いろいろ言われるが、そういう「無意識」の世界に近づくことは危険だ。
なぜなら普段意識されていないか、決して意識されていないのは、それなりの理由があってそうなっているわけであって、普段生活する時には関係のないことだ。
人間がとんでもないストレスやピンチ、病気などに襲われた時、はじめてその領域が意識の上に現れる。
普通は知らなくてもよいし、なるべくなら見たくない領域であるはずだ。
しかしユングの時代には、それが発見されたばかりであった。
いろいろな社会の背景があるのであろうが、それが発見された以上、人間は「知りたい」と思ってしまう。それが現在まで続く心理学やイデオロギーや新しい文化の流れを作ってきたわけである。
それらは人間の心理の奥底にある「アーカイブ」のようなもので、めったに開けない「タイムカプセル」のようなものだ。100年に一度とか、そういう頻度でしか開けることはないだろう。
それをむやみに開くことは、個人の心のバランスを崩し、社会の混乱を招くことになりかねない。
事実、フロイト以降の世界は混とんとしてしまった。
フロイトは「開けてはいけない箱」を開いてしまったのだろうか?
それとも、彼が世界に登場した、ということに、偶然ならざる意味があったのだろうか?
無意識は意識されないから無意識なのである。
何度も言うが、普通に生活したいのであれば、なるべくかかわらぬがよい。