『風ノ旅ビト』は一回やっただけでは、なかなか解釈が難しいゲームだ。
背景にチベット仏教的なものを感じる。
まず、ステージの数が「6」。
それぞれ、六道輪廻の「人間」「畜生」「地獄」「餓鬼」「修羅」「神」の世界を表しているのではないか。
最後の世界は、それらの世界からの「解脱」である。
理由は、ある場面で出てくる6人の存在。これは六道を救うとされる地蔵菩薩ではないか?
ネタバレはしたくない。
ただ、このゲームの背景にあるのが、仏教的世界観である、ということは言えると思う。
このゲームでは、誰も殺すことはない。ただ、ひたすら他の存在を助けるだけである。
これも、仏教の目指す理想と一致している。
また、だれでも素直にゲームを進めればゴールに至る。これも仏教的世界観に通じる。
同じ世界をぐるぐる回っているように見えるが、そもそも、われわれは何かをしているようではあっても、しょせんそれは何かの力で生かされ、励まされ、それぞれの道で、それぞれの生き方をしている。
それをしたから、といって何が変わるわけでもなく、また振り出しに戻ってそれを繰り返すだけである。
「何かをしている」、例えば、山に登っている者、それは誰なのか?
そもそも、山に登っている者、あるいは、人生を歩んでいる存在など、いるのだろうか?
だとしたら、毎日の行いをただ当たり前に、ごく当たり前に、繰り返していけばよいのではないか?
何の悩みがあるだろうか。
どこかに特別な体験があるだろうか?
チベットの山を思わせる雪山の風景 |
六体の存在 |
カイラース山を思わせる山 |
山を目指し、猛吹雪の中を進む旅ビト。 |
チベットのタルチョ(祈願旗) |