2024年1月20日土曜日

能登地震の被災地へ入る



大きな地震から、今日で20日経過した。じつは親戚が被災地にあるので、発生から5日目に後片付けの手伝いで行ってきたのである。その時の事を少し書いておこうと思う。

建物は地面に沈降したかのように崩れており、中に入るのも勇気が必要な状況だったが、自治体による被害判定の直前で中に入ることができた。
柱は斜めになっており、建物は分裂、床は約10%ほど傾斜していた。
この状況では、取り壊さざるを得ないであろう。
「危険」という赤い紙が貼られた。

周りの家はどれも半壊か全壊。
写真のように「液状化」が発生して、下から砂が噴き出している。
アスファルトは割れ、マンホールが浮き上がっている。

現地は奥能登からはかなり離れているが、一番被害の大きい奥能登では、どれほど甚大な被害が発生しているのか、見当もつかない、と思った。

この地域では、これほど大きい地震は起こらない、と今までは思われていた。
今度の地震は3000から4000年に一度の規模だった。
仮に1年に1mmの隆起があるとしたら、今度の4mという隆起は、そのひずみが一挙に解消されたことを意味する。
その現実が、あまりに衝撃的過ぎて、受け入れられない。

日を追うごとに被害の状況が明らかになっているが、とにかく今までにあまり例を見ないほど過酷な状況である。
奥能登が都市部と離れている僻地であることが、被害をさらに大きくしている。

2024年1月13日土曜日

1か月ぐらいは余震に注意



能登の地震は、発生から2週間経過しようとしているが、まだ全様が明らかにならないほど、甚大な被害が出ている。
いまだに孤立している集落が多く存在し、取り残されている人たちが750人もいる。一方、あまりの被害の大きさから、復興をあきらめ「ふるさとを捨てて」出ていく人も増えている。
そもそも、水や食料がなく、電気もない状況では、まともな生活が成り立たない。
ほんとうにお気の毒なことである。
われわれにできるのは、確かな自治体の機関に「義援金」を送る程度だ。

もう二度と復旧できないであろうほどの甚大な被害を被っている。
海岸線は4mも隆起した。一瞬で4mもの大地が隆起するとは、どれほどの大きな力だろう。想像もできない。
動いた断層の距離は150kmにもおよび、しかも認知されていなかった断層だった可能性がある。
3000から4000年ぶりの活動だったようだ。
こんな断層が、日本列島の地下にはまだ多くあるようだ。

地震活動は当初に比べると「落ち着きつつあるように」は見える。だが、この地域の地震は数年前からずっと連続しており、落ち着いては活発になりを数回繰り返しているので、まだまだ油断はできない。
余震も弱いものはまだ継続している。
継続している、ということは、まだ地盤の動きが停止していない、ということだ。
気を付けないと。

いつもなら雪山に登山する季節だが、登っている時に地震が発生すると、大規模な雪崩に巻き込まれる可能性があり、うかつに山には入れないし、雪の積もった斜面に近づくべきではない。

山に登るたびに、山の美しさと同時に、危険さも肌身で感じているので、危ないことは避けるようになる。
要するに、そのような「勘(かん)」が働く、という事である。

2024年1月3日水曜日

新年早々の大地震に見舞われる

2023/11 七尾城展望台にて

 1月1日、いろいろ忙しく、ばたばたしていて、帰路、地震に見舞われた。
揺れは今までに経験したことがないほど大きく、揺れは1分以上続いた。
何度か仕事で訪れたことのある石川県珠洲市が震源であり、ここは3年ほど前から大きな地震が繰り返されている。
2年前には、震災の見舞いで現地を訪れたばかりであった(関連記事)。
その時も、建物の被害が大きかった。
今回の地震はその時とは比較にならないほどの規模で、現在でも行方不明の方が多数ある。
ほんとうに、なんと言っていいか。ただお見舞い申し上げる以外に何もできないのが悔しい。
珠洲市は市長の話では壊滅状態だそうである。
まだまだ余震活動が続いている。今後どれだけ被害が拡大するのか、未知である。

地質学者の解説では、能登地方の下に、東日本大震災のときに潜ったと思われる、東京ドーム23杯分ぐらいの巨大な「流体」があり、これが断層に接触して刺激したのではないか、という。
M7.6という地震規模は、内陸型地震としては「きわめて大きい」という。

このあたりの地盤は「飛騨帯」と呼ばれる、かつて大陸から分離した地質の一部だ。
なので、あまり地震の起こらない強固な地盤であるはずであった。
しかし、今回の地震で分かったことは「日本列島のどの場所でも、大きな地震は起こりえる」ということだ。
想定外のことが起こるのが自然だが、今回の地震は想定の範囲を大きく超えている。

いつもひすいを拾いに行く糸魚川市も、がけ崩れ、同時に発生した津波の影響をうけており、いつになったら復旧するのか、予想もできない。

新年早々、こんなことが起こるとは予想もできなかった。

2023年12月6日水曜日

謎の穴について調べてみた

 甌穴について

昨日、子不知海岸で見つけた謎の穴は、「甌穴」と言われるものだ。
しかし謎なのは「なぜ、直列に並んでできているのか」である。
このような例は、他で探してみたのだが見つからなかった。
今話題のChatGPTにも訊いてみたが、
しかし、"直列で出来る甌穴"という表現は、一連の甌穴が直線状に並んで形成されることを指していると解釈できます。これは、特定の水流パターンや地質条件下で理論的には可能かもしれませんが、具体的な例や文献は見つかりませんでした。」

ということなので、多分どこでも見つかっていないのであろう。ただ、特定の条件下ではありえる、ということだ。

まず、この甌穴は花崗岩に閃緑岩か何かが貫入した岩の上にできている。
その貫入の形状がほぼ直線であることに関係するのではないか?
しかも、それらは等間隔で並んでいる。

いろいろな可能性があるが、以下に自分の考えた可能性を列挙してみる。

① 護岸工事のための重機か何かを固定するために、直線の穴があけられ、そこに小石が挟まって、波に洗われ、石の回転によって花崗岩が削られた。

② 貫入した閃緑岩が侵食され、等間隔のクラックに小石が挟まり、花崗岩が削られた。

③ 昔、親不知海岸から子不知海岸までは、海岸に通路が作られていたらしい。その遺構に小石が挟まり、削られた。

④ 工事の際、この岩が邪魔だったので、くさびを打ち込んで割ろうとしたが割れなかった。それに石が入り込み、甌穴のようになった。

あまりに直線的であり、等間隔で出来ているので、「人の手が作ったもの」にも見える。
しかしながら、貫入している岩石はほぼ直線で入っているものもある。しかも、一定の間隔でクラックが入っている。
穴は岩の上を海に向かって伸びている。人間がわざわざ、こんなものを作るだろうか?
列の終端は海の中に消えている。

自然にできたものとすれば、②の可能性が一番高いと思う。しかし、直列している甌穴は、貫入した閃緑岩の上にできているものではないように見える。
謎は深まるばかり。

貫入している岩石。直線状ではないものもある。

列状にできた甌穴。人工的に見える。

右上に見えるものが、直線状に入った閃緑岩か何かの貫入。一定の間隔で穴が開きつつあるのがわかる。

しかし、この穴が開いている場所の周りには貫入が見られない。だとすれば、もっと別の要因で出来たことになるのだが。やはり人工的なものなのだろうか?

※ おまけ

この辺りには古代王国「高志(越)の国」があり、例の沼河比売が治めていた。
その時代の古代遺跡なのかな、とも思ってしまった。
想像は尽きないが、昔の人と何か関係があるのなら面白いなあ、と思った。

2023年12月5日火曜日

勝山から深谷まで 棚から牡丹餅はなかった 「海の蛇石」を見つけた

 前回良い石を拾えたので、「今回ももしかしたら」と思って再び糸魚川へ。
だが、ひすい拾いはそんなに甘くない。
100万個に一個の石を、簡単に拾えたら「誰だって拾える」という事になる🤣。
ひすいは最近では「ごくまれに」「運が(相当)良くなければ拾えない」ことになっている。
ゆえに、拾おうと思って拾えるものでは決してない。

今回は引き潮で「海の道」が開けており、初めて深谷まで行けた。
しかし、子不知から先は条件は良いものの、まったくめぼしい石がない。

今日の成果。どこにでもあるオンファス輝石とネフライト。もっとも、最近ではこれらの数ですら減っているのだが。

波は静か。今の季節にしては異常な静かさだ

深谷のロックシェッド。ここまで初めて来られた。青海川の河岸工事や姫川のテトラ投入などによって、海岸が広がっている可能性もある。しかし、そのためか、ひすいは全くと言ってよいほど、見つからない。

途中、岩の上に不思議な造形を発見。多分、日本海の荒波で「甌穴」が出来ているのだ。あまりに強い波のため、小石が岩に穴を作ったに違いない。真冬になると、この場所は波高5mほどの波がいつも押し寄せる。

花崗岩に閃緑岩が貫入しているような岩である。これは魚津の山奥の「蛇石」と同じ構造の岩だと思う。

勝手に「海蛇石」と名付けさせてもらう

あまりにミステリアスな造形。本当に自然にできたものなのだろうか?もしかしたら、工事の人が、重機の足場か何かのために穿った穴なのかもしれない。

5kmほど歩いて、ついに行き止まり。「嘆きの壁」と名付ける。ここまで来るまで、ほとんど石が拾えなかった。この場で昼食。素晴らしい景観の中で、コンビニ弁当でもおいしかった。