2023年3月19日日曜日

私はずっと登山初心者

 


「山」という場所は、いつ行っても危険と隣り合わせの場所だ。
なんでもない場所で躓いたり、足を滑らせたりする。
十分注意していても、思いがけないことがある場所である。
「慣れているから大丈夫だ」という慢心のようなものが出てきたら要注意だ。
何回同じ山に登っても、同じ条件であるということはない。
道の状況は前回とは同じではない。
同じでない、ということは、新しい山に登っているのと同じことではないだろうか?

遭難して行動不能になるのは、油断、慢心、緊張感の欠如が原因であろう。
そして山に対する畏敬の念を常に持ち続けなければならない。
謙虚な気持ちで山に登らせていただく。
それがなくなった時、事故が起こるのだと思う。

常に初心に帰り、「自分は山の専門家とは違い、アマチュアの初心者ハイカーである」という自覚を新たにする。。。それだけで引き返す決断ができたり、無謀なことはしなくなる、と思う。
山登りだけでなく、人生すべてについて。

2023年3月17日金曜日

最近よく遭難の話をきく



春山は遭難が多い季節かもしれない。
やはり、私のような初心者が、雪のある山に行くのが原因だろうか?
確かにそのような事例もあるが、かなりベテランの方々が、雪壁の崩壊などによる事故を起こされているように思う。
私は1月2月に森林限界を超えたことはないが、3月には一度ある。
非常に寒く、一歩間違えば間違いなく死ぬだろうな、と思った。
下が晴れていても上に行くと、ものすごい風が吹いていることがあった。
6年ほど前の三月の上旬、乗鞍岳での事であった。
この時は分厚い雪山用のグローブをしていても、指先の感覚が無くなるぐらい、寒かった。
強風でどんどん体温が奪われる。急いで防寒着を羽織ったが、指先がかじかんで、なかなか着られない。
そのうち、目が痛くなってくる。命の危険を感じたので、山頂まで30mほどのところで撤退した。
この時、ゴーグルも、バラクラバも、雪山用のしっかりしたスノーシューも持っていなかった。
まだ今より少し体力があったから行けたのかな?
しかしもし、クレバスにはまっていたら、死んでいたかもしれない。
遭難はそういう「まあ、大丈夫」という油断から簡単に起こる。

特に今は、4年間のコロナ騒動がようやく落ち着いてきた時期。
私は4年間、あまり体を鍛えてきたとは言えず、しかもそれだけ年齢も重ねている。
急に動けば、思わぬ事故になる、と思った。

最近山での事故が多いように思う。
急に動かずに、徐々に体を慣らしていくことが重要なのではないか?

2023年3月14日火曜日

思い通りに行かなくて混乱する人たち



そもそも、人生と言うのは思い通りに行かないものだ。
計画していたことが実行できなかったり、区分をしっかり分けたつもりが守られなかったり。
そんなことは日常茶飯事なのだが、そのような「思い通りに行かない」ことに腹をたて、混乱する人たちがいる。

登山でも最初に「登山計画」を立てなければならない。
何時何分までにA地点を通過し、山頂は何時、下山は何時、エスケープルートはどこどこ、食料、水の量など、たくさん計画しなければならない。
しかし、実際に登山を開始すると、予定通りにはいかないことがほとんどだ。
途中で水や食料が足りなくなることすら起こる。
「計画」とは大体の目安であって、その通りに行くことはない。
しかし中には「計画通り」に無理にでも進めなければ納得いかない、という人々が存在するらしい。これらの人たちは多少無理な行程でも計画に合わせてしまう。
これは刻々と状況が変わる登山においては致命的な間違いを起こす可能性もある。
逆に「計画」通りに行かないという理由で早々に撤退する人もいる。
どちらも登山にとっては良いことではない。
前者は事故を誘発、後者は登頂できたのにできない、ということになる。
これでは「計画」した目的である登山をなしとげることは出来ないではないか?

人生でも何でも、いったん進みだしたらある程度「臨機応変」な対応を取らなければならない場合が必ずある。思いもかけないアクシデントが良く発生する。
しかし頑なに当初の計画に沿って進める人がいる。
個人の場合は臨機応変の対応を比較的取りやすいが、それが集団になるとなかなか機動的な対応は難しい。
その場合、チーム全体が沈没する可能性がある。
登山の場合、下手をすると全滅する可能性もある。それでは、なんのためにチームを組んで登山しようと思ったのか、全く分からなくなってしまう。
リーダーがしっかりした人で、チームがまとまっていれば、それは個人の何倍もの力を発揮するだろう。
逆にバラバラなチームであれば、これはしっかりした個人にも劣る、ということになる。

立派なリーダーはまず落ち着いて全体の向かう方向を示し、先頭を歩く人であろう。
その人についていけば目的地に行けるし、集団の中の意見の不一致もうまくまとめてバラバラにならないようにするだろう。
時には分派することもあるだろう。しかし人間はひとそれぞれである。
完全に一致することはない。無理に恐怖や威嚇を用いてでも集団をまとめようとするグループもあるだろうが、それを維持するためには、多くのメンバーの犠牲を払うことになる。
そんなグループにはだれも居たいとは思わないし、いったんそういう方向に行こうとしているならば、たいていは嫌がって出ていくだろう。
独裁者は最後には排除されることは、歴史が証明している。

思い通りに行かなくて腹をたてる人たちは、どこか「独裁者」に似ている。
無理に思い通りにしようとすれば、そのつけは必ず後になって帰ってくる。

2023年3月9日木曜日

日照岳(1751m)と西峰(1754m) 新たな峰へ

 前回3月4日の牛岳登山はきつかった。
やはり雪質の問題だった。
今回の山は御母衣湖から登る「日照岳」。初めて登る山である。
しかし雪質が良く(軽い雪)、牛岳(湿っぽくて重い雪)で準備運動していたせいか、想像以上に快適な登山となった。
日照岳は近くの「野伏ヶ岳」と同じく積雪期限定の藪山だ。急登だという。
よくわからない「コロナ騒動」のせいで、チャレンジしたくてもなかなかできなかった。
やっと登れる機会が来た。

のっけから仰角30度を超える急登が連続する。しかし雪が硬く、アイゼンを装着すれば快適!

クズバ山のような急登が1.7kmに亘って連続。とくに注意しなければならないのが1534m峰下の急登。落ちると危ない。

1534m峰の上も、まだまだ急登は続く。しかしトレースがしっかりしていて快適に歩ける。

御母衣湖がだんだん小さくなる。バックカントリーのシュプール。この山はBCスキーで有名。

横には南尾根。ここは今の時期、巨大な雪庇があり、危険なので通行できない。

猿ケ馬場山などの飛騨高地の山々

今日は調子が良く、日照岳山頂の向こう側の最高峰「西峰」を目指す。日照岳を振り返る

西峰山頂付近から、日照岳本峰。

西峰から白山を望む。春霞(黄砂)のため、すっきり見えないなあ

日照岳から、西峰方面。実際は西峰の方が標高が高いのだが、こちらの方が高く感じられる。

日照岳山頂プレート。YAMAPユーザーが設置されたようだ。

2023年3月6日月曜日

目標をもって取り組む

 


「目標」というものは、人それぞれだ。
結局は「自己満足」なんだろうけど、それがあるのと無いのとでは、充実感が全く違う。
人に言われていやいややってるのが「仕事」「義務」なんだが、人生それだけではつまらないだろう。
自分で決めて、自分の意思で「目標」を完遂する。
それが本当の生きがいというものだ。

どれだけ他人に評価されようが、それが「おもしろくない」ものであれば、これほどつまらないことはない。それで満足する、という生き方ももちろん尊いことである。
インドの詩人タゴールは「義務は喜びであった」と言う。
(これはV.Eフランクルの本にあるタゴールの引用なのだが、『タゴール詩集』にこの言葉は見当たらなかった。ほかの著作の引用かも)
それで納得できる人は、本当に偉い人だと思う。
私はそんなに偉くなれない。

何か「目標」を持って人生を送りたい。
どんな「つまらなく見えること」でも、本人にとってそれが生きがいとなるならば。
そうでないと、生きた心地がしない。