オパール探しがきっかけで、オパールが主題の『貝の火』を読んで、すっかりその世界観に引き込まれてしまった。
そこで今度はいくつかの作品を読んでみることにした。
『宮沢賢治の地学読本』(柴山元彦解説、創元社、2020)を買った。紙の本を買うなんて、何年ぶりだろう。最近、たいていは電子書籍しか買っていない。
紙の本は、光を発しない。すっかりディスプレーで読むのに慣れていると、最初は少し違和感を感じるが、すぐに慣れてくる。一気に最後まで読んでしまった。
この本には
1,『イギリス海岸』
2,『楢の木大学士の野宿』
3,『グスコーブドリの伝記』
4,『風野又三郎』
5,『土神ときつね』
の5作品が収められ、それそれに「地学的な」脚注がついているのが特徴だ。
これらの作品が地学の知識をわかりやすく解説している事を、改めて確認した。
ただし、最後の『土神ときつね』はちょっと異色の作品であった。
これは天文学の領域に属するような作品で、なぜこの作品を編者が収めたのか、編者の意図を理解するのが難しかったが、作品として最も面白かった。
読んでもらうと分かるように、登場する存在は、白樺(女性)、狐(男性)、土神(男性)しかいない。
このシンプルな構成が、この話を、より読みやすくしている。
白樺は女性、狐は虚栄心の強い男性、土神は馬鹿正直で直情的な男性として描かれている。
狐も土神も白樺に好意を持っている。
狐は白樺に見栄を張り、うそをついてでも好かれようとする。
実際に白樺は狐を好きなようである。
土神は正直な事しか言わず、激情的な性格なので、白樺は恐れている。
そして両方とも白樺に思いを伝えられない。
ある日、白樺の所に会いに来た狐の「赤革の靴」が光るのを見て、土神は「キレ」て狐を殺してしまった。
童話にしては、かなりショッキングな幕切れである。
土神が殺した狐の巣穴に入ると、実際には何もなく、狐が見栄を張ってうそをついていたことが分かった。そして屍のポケットの中を見ると「茶いろなかもがやの穂が二本」入っているだけだった。
土神は、自分が取り返しのつかない犯罪を犯したことを悔いて、とほうもない声で泣くばかりだった。。。
宮沢賢治は、なぜこのような物語を書いたのだろう。
この作品は賢治の死後に残されたものだという。もしかしたら、本人は発表するつもりが無かったのかもしれない。
ただ、自分の中の「負の、暗黒の感情」を作品に吐き出したようにも感じられる。
宮沢賢治は「聖人」ではなかった、と私は思う。
そして、この世のどんな存在も「聖人」にはなれない、と思う。
「聖人」になるには、自分の「悪」と対決しなければならない。
しかし、いずれそれはある時に「悪」ではなかった、という事に気づかされる日が来る。
土神が作品の途中でそのことに気が付いたような描写も見えるが、結局自分の幼稚な激情を抑えきることができなかった。
「聖人」を目指したが、それと同時にさらに際立ってくる「悪」の感情を、この作品は見事に描いている。
光が強ければ強いほど、影も濃くなってくるものだ。