宮沢賢治は人間の「業(ごう)」の深さを特に感じた人だったように思う。
彼の作品がどこか心の奥底に触れるのは、それが何人にもあてはまる部分があるからだ。
『なめとこ山の熊』も、そのような作品の一つだと思う。
猟師の小十郎は、「なめとこ山」で熊を狩る猟師だ。「なめとこ」とは「滑床」のことではないだろうか?
候補としていくつかの山を想定されているサイトもあるが、作中に出てくる「淵沢川」は、青森県の奥入瀬川の支流に実際にある名前である。
「なめとこ山」と名付けられた山は、岩手県内にある。ただしこれは賢治の生誕100周年の時に付けられた。したがって実際、賢治がどの山をモデルにしているのかは定かでない。
とにかく、白神山地周辺はマタギ文化の有るところで、大きな熊も生息している地域だ。
小十郎は熊の胆と毛皮を取って生活している猟師である。
しかし好きでやっている仕事ではない。家族を養うために、やっている。
苦労して取った熊の胆や毛皮は町に売りに行くのだが、商人に安く買いたたかれる。
ある時、熊の母子が月の夜に語り合う姿を見て、自分の職業の「業の深さ」を悟る。
そして最後には、熊に殺されて死ぬ。
この場面の賢治の描写が非常に印象的である。
「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。とにかくそれから三日目の晩だった。まるで氷の玉のような月がそらにかかっていた。雪は青白く明るく水は燐光《りんこう》をあげた。すばるや参《しん》の星が緑や橙《だいだい》にちらちらして呼吸をするように見えた。その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環《わ》になって集って各々黒い影を置き回々《フイフイ》教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸《しがい》が半分座ったようになって置かれていた。思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴《さ》え冴《ざ》えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。
人間が死ぬときには「形容しがたい」非常に強い光を見る、と言われている。
その様子が描かれたあと、「回回教徒(イスラム教徒)」が祈るように、というから、五体投地の姿勢で、熊たちが輪になって小十郎を弔う。
まるで、お互いの業を見つめあうように。
雪山の描写も見事である。実際に登ってみると、まさにこのような世界が広がっているのが雪山だ。
賢治は仏教徒であるから、殺生を嫌い、肉食をしなかったといわれる。
しかしながら、猟師であるが故の殺生という生業を、批判してはいない。
これは人間が生きる一つの姿なのだ。
そうしなければ生きられないのである。実に悲しい「業」である。
この小十郎という猟師はクマに殺されたのではあるが、そのことによって魂の救済を得たのかもしれない。「何か笑っているようにさえ見えた」という記述がそれを示しているように思える。
山に登れば熊がいてもおかしくない。
私もたくさん肉を食べたなあ。
殺されても文句は言えないのではないか、と思った。