オパールは乾燥した場所に置かない方が良い、と言われている。
しかし、宝飾品にするようなオパールはよく乾燥させて、それでも遊色の失われない物を選んで宝飾品にする、という。
私はあえて液体には浸さずに、様子を見ることにした。
2日ほど経つと、心なしか遊色する部分が増えたような気がするのだ。
LEDでしか光らなかった部分が、太陽光でも光る。
新たに遊色する部分も増えている。
これはどういう事だろう?
頭に浮かんだのは昨日書いた宮沢賢治『貝の火』だ。
オパールを貰ったウサギは、毎日手入れするのであるが、液体(油)に漬けたのは5日目だ。
それまでは空気中に保存していたのだ。それなのに、光がますます美しくなっていく。
これは実際に実物を観察していないと、わからないことだ。
宮沢賢治はオパールのこのような変化を観察していたに違いない。
油に漬けたオパールは「魚の目玉のように」銀色に光る。そして遊色が消えてしまう。
オパールは水分を含んだ石なので、水に漬けないとだめだ。
この記述も具体的である。
そしてその日のうちに、ただの白い石になってしまった。
最後には「パチパチパチッ」と激しい音がしてみるみる、まるで煙のように砕けてしまうのである。
この石も、最後には煙のように砕け散ってしまうのであろうか?
※追記
『貝の火』は父親の善悪の報いが石に現れていると読んだ方が分かりやすい、という記事があった。
なるほど、狐の盗んだパンを、父親は最初は拒んで踏みつけたのに、結局息子と一緒に食べている。石が曇ったのは、その後の事だ。
ウサギの父と息子は、たしかに最初は善良なことをしてはいる。しかし、それが結局は不幸を招いてしまった。
しかしウサギの父親は「このようなことは、よくあることであり」それに気が付くことは幸いなことだ、といってとがめない。
息子もバカだし、自分もバカだった、というのが本当の結論なのであろうか?
違和感の残る不思議なストーリーを読んで、久しぶりに考えさせられるところが多かった。
オパールとの出会いがきっかけとなって、普段考えないことまで考えさせられた。
石の不思議な力である。