2023年5月25日木曜日

オパールと宮沢賢治『貝の火』

 


宮沢賢治の初期の童話に『貝の火』という作品がある。

ウサギのホモイがある時、小鳥の子供を助けた所、鳥の王に感謝されて「貝の火」という宝珠を贈られる。
この作品の中の描写から「貝の火」はオパールの事である、と思われる。

するとお父さんはびっくりしてしまいました。貝の火が今日ぐらい美しいことはまだありませんでした。それはまるで赤や緑や青や様々の火がはげしく戦争をして、地雷火をかけたり、のろしを上げたり、またいなずまがひらめいたり、光の血が流ながれたり、そうかと思うと水色の焔が玉の全体をパッと占領して、今度はひなげしの花や、黄色のチュウリップ、薔薇やほたるかずらなどが、一面風にゆらいだりしているように見えるのです。
さまざまな遊色を持つ「プレシャスオパール」を描写しているように感じられる。宮沢賢治はこのレベルの石を収集していたのであろう。
またこの石は「これは有名な貝の火という宝物だ。これは大変な玉だぞ。これをこのまま一生満足に持っている事のできたものは今までに鳥に二人、魚に一人あっただけだという話だ。お前はよく気をつけて光をなくさないようにするんだぞ」という、やっかいなものでもある。
持ったものはたしかに名声を得はする。実際ホモイの周りにはほかの動物たちが阿りに来る。ホモイは増長して自分が偉くなった、と錯覚してしまう。
そのうちずるがしこい狐がやってきて、ホモイの権力を笠に着て、悪事を働くようになった。
ついには動物園を作ろうということになり、助けたはずの小鳥を捕らえてしまった。
ホモイの父は驚き、どんな不幸がやって来るかわからないと思い、小鳥を解放しに向かう。

「ホモイ。お前は馬鹿だぞ。おれ馬鹿だった。お前はひばりの子供けてあの玉をもらったのじゃないか。それをお前は一昨日なんか生まれつきだなんてっていた。さあ、野原へ行こう。がまだっているかもしれない。お前はいのちがけでとたたかうんだぞ。もちろんおれも手伝う」

父は小鳥たちを解放したが、「貝の火」はすっかり曇り、ただの白い石になってしまった。
小鳥たちがその様子を見に集まると、貝の火は砕け散り、その破片がホモイの目に刺さり、ホモイは失明してしまった。
小鳥たちは自分たちがひどい目にあわされたので、だれもウサギに同情するものなどいない。一羽一羽去って行った。
フクロウは「たった六日だったな。ホッホたった六日だったな。ホッホ」と鳴いて、権力のむなしさをからかって飛び去った。
ホモイの父親は「泣くな。こんなことはどこにもあるのだ。それをよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ。目はきっとまたよくなる。お父さんがよくしてやるから。な。泣くな」といって、また日常の時間が流れる、という物語である。

オパールは水を含む石なので、乾燥に弱い。そのまま放置するとひびが入ることがある、という。そのため水に漬けて保存しているひともあるほどだ。
また、条件が悪いと遊色がなくなったりすることもあるようだ。
宮沢賢治はこの物語の中で、「権力のむなしさ」「人間の業の深さ」を描きたかったのだろうと思う。
それをオパールの輝きになぞらえる所に、天才的な感性を感じざるを得ない。
最後にホモイの味方をしてくれるのは、父親と母親だけであった。
その他の者は名声を失うのを見ると、見捨てて飛び去ってしまう。
これは世の中のある一面を、正確に描写している。
現在でも全く変わっていない。

※追記

よくGoogleの検索候補に「やばい」「・・しないほうがよい」という候補が上がる。
このオパールは、本当に「やばい」ものに属するような気がする(こういうものに限ってなぜか「やばい」という候補がないのがGoogleらしい(笑))。
かなりの魔力を持つ石のような感じがするし、ひすいの控え目な、落ち着いた雰囲気とは対照的に、錬金術を連想させるような、妖艶な雰囲気を持っている。
多彩な遊色は大自然の神秘そのものだ。
今となっては人工的に遊色を作ることはできるが、それにしても自然にできた物には物凄い迫力がある。