2021年11月10日水曜日

山から教わったこと

 


登山はそこそこ厳しい山が良い。
あまりゆるい山だと、なんだか物足りないし「不完全燃焼」みたいな、何か残ったような感じがするからだ。
多少筋肉痛が続いても、やはり「厳しい山」はよいものだ。若い人なら筋肉痛や疲れなど、一晩寝れば治ってしまうだろう。
だが、ある程度年齢を重ねると、どうしても後に引く期間が長くなってくる。
そんな時、「年を取ったなあ」と思う。
回数を重ねれば重ねるほど、「山から教えられること」も多くなってくる。
わたしが登山をやってきて、山から教えられたことで、思いついたことを書いておこう。

1、人間の体力は年と共に衰える。しかし筋力はトレーニングすれば強くなる

以前なら楽に登れていた山であっても、年齢を重ねるとしんどかったりする。
しかしながら、道具の工夫や歩く時のコツがつかめてきたりして、以前よりも短い時間で登れたりする。
定期的に山を歩くので、山登りに必要な筋肉が付いているのが自覚できるようになる。
「次回登る時は、こんなことに気をつけよう」という知恵もついてくる。

2、天性の体力を持った人がいる

自分が12時間かけて往復した山を、6時間で往復する人たちがいる。
そういう人たちの写真を見ても、特別筋肉がありそうにも見えない(むしろ無駄な筋肉がなく、すらっとしている)。
歩く姿を見ても、べつにトレイルランニングをしているわけではない。普通に歩いているのである。
そういう人たちがいるものである。
若いころは彼らに「負けられない」と頑張ってみたが、だんだん年齢を重ねてくると、どれだけ鍛えても、そういう人たちには及ばない事が自覚できるようになってきた。
世の中には、「天性の体力」「天性の運動能力」を持った人が存在するのだ。
知能においても「天才」がいるように。
自分にはそういう人たちの真似はできないことが、はっきりと自覚できるようになってきた。

3、自分の体力と技術に応じて、無理をしない

「天性」に恵まれた人たちに敵わないとしたら、そこで登山をやめてしまうのか?
いやいや、そもそも自分が登山を始めたきっかけは何だったのか、考えてみよう。
別にタイムトライアルをやることが目的だったのではないだろう。
どんなに遅くてもへたくそでも、登ることによって何かを学ぶことが出来るから、続けて来られたのではないだろうか?それはすべて自分の問題なのである。他人と比較するようなことでは、そもそもなかったのだ。
滑ったり、転んだりしながら、痛い膝や腰を引きずるようにして、下山する。
登った以上、降りてこなければならない。それを愚直に繰り返すこと。
それが「楽しいこと」であるからこそ、今まで続けてこられたのではなかっただろうか?
登山は「楽しむ」ことが大切だ、という事がだんだんわかるようになってきた。
だから、体力の限界を超えるような登山はしなくなった。高度な技術を要する山にも登ろうとは思わなくなった。無理をすればきっと楽しくないからだ。