2021年7月5日月曜日

こういう石はひすいではない

 



どうもこのブログはひすい探しの方が参考にされるようで、いつもアクセスの多いのは、ひすいの記事ばかりだ。

本当は登山のブログのはずなのに、いつのまにかひすいの方が注目されるので、そっちのほうの記事ばかりになってしまった。こういうのを、「不本意」だと言うのだろうな。

何度も書くが、はっきり言って、海岸に落ちているような石は宝石のひすいとは程遠いものばかりだ。

このブログのひすいの記事は、一貫してこの事実を書こうとしている。

糸魚川の海岸で拾えるようなひすいに、金銭的価値は全くない、と思った方が良い。

ひすいを探すなら、玉髄とかめのうを探したほうが、よほどきれいな石に出会えるだろう。

写真の石は少しひすいを含んでいる。ただし、ほぼ、別の石である。

どこから見ても、宝石とは思えないし、実際宝石と呼べる品質ではない。

どう見てもただの「石ころ」である。

ひすいを探す人には、まずこの事実を直視して欲しいと思う。世の中はそんなに甘くないのだ。

ロマンと夢を追う気持ちはわからないでもないし、私も昔はそう思って探していた。

しかし、透き通るひすいなんて、拾えた試しがないのだ。そんな石が拾える時代は50年ほど前に終わった。

そういう事がわかってきてからと言うもの、海岸の空気を吸いに行くだけの為に歩くようになった。

海の空気はなぜか心を癒やしてくれる。