大日岳の名の由来である「大日如来」は、密教の仏と言われている(実際には他の大乗経典の中にその名はしばしば見られる)。
『大日経』はこの仏が説いた教えである。
修験道と関係があり、昔の修験道の行者たちは、山に登ることで大自然と一体になる境地を目指して修行した。
この山には「七福園」という昔の行場が残っている。
大日小屋から奥大日岳へ進む道の途中の、大きな岩が転がっている場所だ。
ここで昔の行者たちは、立山連峰を曼荼羅に見立て、修行したらしい。
大日岳の横に見える剱岳は針山地獄だとされ、前にそびえる立山は阿弥陀仏の浄土だとされた。
古くから、ここに来れば人間が死して後、赴く世界が見られると信じられていた。
『今昔物語集』(平安時代成立)には天狗平と思われる場所で、修行僧が近江の国の木仏師の亡くなった娘と出会う話が出てくる。
(巻14第7話 修行僧至越中立山会小女語 第七)
実際にこの場所に立ってみると、まさに天然の曼荼羅が目の前に広がる。
「大日如来(Vairocana)は、マンダラの中心にいる白い仏陀です。行や瑜伽クラスのタントラに登場します。真言宗では法身(DharmakAya)の擬人化と考えられており、通常は大日如来と呼ばれていますが、これは大日如来タントラに由来しています。タントラの説話は伝統的に、歴史上の仏陀である釈迦牟尼ではなく、大日如来が説いたとされている。一般的な大日如来の姿は、比丘の衣を着て、両手を法輪(転法輪印)にして描かれています。真言宗では、大日如来の姿として、黄金色で1つの顔を持ち、金色の法輪を手に持った禅定印を見せる胎蔵曼荼羅と、白色で4つの顔を持ち、智拳印を見せる金剛界曼荼羅の2つを認めています。」
解説すると、大日如来は「宇宙の法則を体にしている者」であり、歴史上の人物である釈迦牟尼仏の「教え」の本体を表したものである。
さまざまに譬えられるが、すべて比喩であって、人間の知覚できる存在ではない。
その存在が仮に「大日如来」の姿で法を説いたのが『大日経』である。
太陽に譬えられるので「大日」であり、迷いの闇を晴らすものである。
太陽の光は白いので、白で描かれる。また白はあらゆる色の根本にあるものである。
どんな色でも受け入れる。宇宙の莫大なエネルギーを秘めている。
比丘(仏教の出家修行者)の衣を着て、転法輪(教えを説く時にする手のジェスチャー)を結んでおられる。
日本の真言宗では、胎蔵曼荼羅に描かれる場合、金色の一面で禅定印(座禅の時に結ぶ手の形)を結んだ姿、金剛界曼荼羅に描かれる場合は白色で4面、智拳印を結んだ姿である。
真言はओँ वैरोचन हूँ(オーン、ヴァイローチャナ フーン)である。