2020年12月5日土曜日

改めて自分の人生をふりかえってみて

 

2020/8/20 薬師岳山頂から奥黒部の山々を望む


『野生の思考』を読み直したついでに、『悲しき熱帯』を読み直している。
これも同一著者(レヴィ=ストロース)による有名な本である。
ただ、これは「エッセイ集」のようなもので、レヴィ=ストロースが自分の「探検」について書いた著作である。
『悲しき熱帯』も愛読書なのであるが、これは別格である。
なんというか、読むたびに新しい発見がある、といおうか。
晦渋ですぐに読んでも理解できないレトリックが使われている文体のため、一回読んだだけでは意味が分からないようになっている。
これも「スルメ」の類の本なのである(スルメの本を買うと、書籍代がかからなくて良い。読むのに時間がかかる本ほど、コストパフォーマンスは良い(笑))。
「気取り屋」的文体を「読みにくい」と言う人が多いと思うが、この本はこれ以降のフランス文学の文体に影響を与えたという。

しかし内容は私にとって衝撃的なものばかりであった。
ブラジルの先住民族調査の旅のエッセイなのであるが、最初から「私は旅が嫌いである」という文章から始まる。
この本はレヴィ=ストロースがブラジル先住民族を調査して感じた「幻滅」についてが主題なのだ。
そして「西洋文明」に対する強烈な疑問、そしてそれの代弁者であったレヴィ=ストロース自身が自責の念から起こした文章である。

私はこの本を読むと、1文1文に深く共感する。
私の今までの人生でずっと考えてきたことが、この本のわずか一章に「すべて」書かれていることもある。
これほど意味深い考察を、私は読んだことがない。

神話の中のインディアンのように、私も大地の許容する限り遠くまで行ってみた。地の果てに到達すると、私は生命や物体に問いかけ、神話のインディアンの少年と同じ幻滅を知った。「少年は涙をぼろぼろこぼしながら、そこに立ち尽くした。祈り、そして呻きながら。だが、何の神秘的な音も少年には聞こえてこなかった。まして、呪力を具えた動物たちのいる神殿に、眠っているあいだに連れ去られるべく眠り込みもしなかった。彼にはまったく疑問の残る余地はなかったーーーどこからの、いかなる力も、少年には与えられなかったのだ…」(『悲しき熱帯 Ⅰ』「4 力の探求」、邦訳p.55)

この一文の中に、私の今までの人生すべてが含まれている。
今までいろいろな事をやってきたが、すべてがこのようであった。

剱岳の山頂に立った時、そこにあったのは登山者の残したおにぎりと酒、異様な形をした人工的な玉、そして意味の理解できない「モニュメント」であった…。

海岸をあるいて「神秘の石」を探し回ったが、そこにあったのはテトラポッドの投入された海岸、大量に投入された土砂、発泡スチロールのかけら、誰かが捨てたミャンマーの奥地から運ばれてきた「ひすい」のかけらであった…。

今、こうやって家の中にいて、中古品のパソコンを改造して、この文を書いている。
外は雲南省の僻地にしかいなかった、新型のウイルスが蔓延しているため、自由に出歩くことすらできない。
こんなウイルスは、人間が近寄りさえしなければ、決して出てくるはずのないウイルスであった。

西洋文明の力で人間が活動して求めてきたものも、結局は「幻滅」に終わるものでしかなかったのか。