『悲しき熱帯』Ⅰに書かれている、いわゆる「インディアン・クロス」という図柄。
例えばこんな図柄である(ペルーのシビボ族の描いた絵)。
これは南米の先住民族の中で共通してみられるデザインであり、もともとは顔に刺青したり、描いたりされていたものらしい。
左右に分割された領域は、それぞれ部族の半分を表しており、上下は「女性の交換」すなわち婚姻関係を表す。
これは要するに、先住民社会そのものを象徴している。
曲線があれば直線があり、描かれる位置は逆対称の関係になっている。
このような社会のしくみを持つ先住民族に対して民族学者は「半族」社会と名付ける。
これは半族同士で女性を交換する「外婚制」を取る。
一方の「カースト」社会では、このような図柄を顔に刺青したり描いたりするのは、その人が「なにものであるか」を示す記号になっているという。微妙な図柄の異なりは、その人の「身分」を表したりするようだ。
まず、絵が描いてあることによって、野生動物と区別される。そして図柄の異なり(描かれる場所)によって「カースト」が示される。カーストを持つ社会では同じ身分同士で婚姻関係が結ばれる。これを「内婚制」という。インドではこの内婚制が厳格である。
ブラジルにはこの「半族」社会と「カースト」社会の民族が混在しており、もちろん同じ部族の中で両者が混在している場合もある。
この「半族」社会と「カースト」社会は、人類共通の社会「構造」であり、太古の昔から現代社会まで、全く変わらず、人間社会の根っこの部分に存在しているものである。
現代のような複雑な社会でも、基本はこの構造で出来上がっているものが人間社会だ、という。
今の社会も「アメリカ」と「中国」などの「半族」に分割しうるし、昔とたいして変わっていない。
相変わらず「カースト」は存在する。ただ、その外観が変わっているだけである。
複雑そうに見える社会も、元をたどれば意外と単純なものなのかもしれない、と思った。
※ レヴィ=ストロースは、先住民社会はこのような「半族」で単純に分割できるわけではなく、実際には半族社会とカースト社会が混在しており、同じ部族の中でも分割に対してまったく異なる認識を持っていることを指摘した。
「半族」という分割が実際に存在するのかすら疑わしい。先住民社会を正確に理解するには、非常に複雑で表面には見えていない「構造」を理解しなければ不可能である、という事である。
これは『構造人類学』の「双分社会は存在するか」に詳しく書かれている。