2021年8月9日月曜日

どこを切り取っても絵になる 『風ノ旅ビト』

登山できない今、こんなゲームがあって本当によかった。
名作というか、ゲームの次元を超えたゲームである。
あるいは、ゲームという概念を否定しているのかもしれない。

言葉がない、という世界を体験できるのはあまりあることではない。
人間は余りにも文字や言葉を濫用しすぎた結果、人生そのものをつまらなくしているのかもしれない。
そういう自分も、文字や言葉でなにかを書こうとしている。
が、それをしようとすればするほど、体験から離れていってしまう。

山に登ることも同じだ。
どれだけ体験したことを文字に表そうとしても、それは「表現しきれていない」。
写真にいくら撮っても、それは体験までも伝えない。

自分で感じたものは、自分にしかわからない。

だったら、沈黙するのが一番いいのではないか?

以下にこのゲームの美しい場面を載せておく。 







2021年8月7日土曜日

風ノ旅ビトと仏教

『風ノ旅ビト』は一回やっただけでは、なかなか解釈が難しいゲームだ。
背景にチベット仏教的なものを感じる。
まず、ステージの数が「6」。
それぞれ、六道輪廻の「人間」「畜生」「地獄」「餓鬼」「修羅」「神」の世界を表しているのではないか。
最後の世界は、それらの世界からの「解脱」である。
理由は、ある場面で出てくる6人の存在。これは六道を救うとされる地蔵菩薩ではないか?
ネタバレはしたくない。
ただ、このゲームの背景にあるのが、仏教的世界観である、ということは言えると思う。
このゲームでは、誰も殺すことはない。ただ、ひたすら他の存在を助けるだけである。
これも、仏教の目指す理想と一致している。
また、だれでも素直にゲームを進めればゴールに至る。これも仏教的世界観に通じる。
同じ世界をぐるぐる回っているように見えるが、そもそも、われわれは何かをしているようではあっても、しょせんそれは何かの力で生かされ、励まされ、それぞれの道で、それぞれの生き方をしている。
それをしたから、といって何が変わるわけでもなく、また振り出しに戻ってそれを繰り返すだけである。
「何かをしている」、例えば、山に登っている者、それは誰なのか?
そもそも、山に登っている者、あるいは、人生を歩んでいる存在など、いるのだろうか?
だとしたら、毎日の行いをただ当たり前に、ごく当たり前に、繰り返していけばよいのではないか?
何の悩みがあるだろうか。
どこかに特別な体験があるだろうか?

チベットの山を思わせる雪山の風景

六体の存在

カイラース山を思わせる山

山を目指し、猛吹雪の中を進む旅ビト。

チベットのタルチョ(祈願旗)

2021年8月6日金曜日

『風ノ旅ビト』をプレイ(登山出来ないので)

世の中は新型コロナが蔓延しており、深刻な状況になっている。
これでは登山出来ない。登山の雰囲気だけでも味わえないものだろうか?ほかの手段で。

『風ノ旅ビト』(Jouney)という中国の人がプロデュースしたゲームが、殊の外美しい山の景色が観れる、という評判だったので、やってみることにした。

わたしはゲームというものはほとんどしない。山に登ることが十分ゲームの要素を持ってるからだ。リアルなゲームだと思っている。
 このゲームは美しい映像、そして音楽でたくさんの賞をもらっている。
2012年発表だから、10年前のゲームだ。
にもかかわらず、古いゲームとは思えないほど、丁寧な作りだ。

よくありがちな経験値やゴールドでレベルが上がっていくゲームでは無い。
また、ネットゲームにありがちなコミュニケーションやチャットが一切無い。
操作説明すら存在しない。
直感の力で未知の世界にいくような設定になっている。
ただ、ゲーム自体はそれほど難しいことはなく、2回もやればクリアできる。
(途中でまったく手詰まりになることがある。バグだ、という意見があるけれども、これはこのゲームの仕様ではないだろうか?「ふりだしに戻る」という場面がある)

私の目指している登山のあり方にあまりにもぴったりなので、すこし感動している。
砂漠や地下道、沢や谷に古代文明の廃墟が並ぶ。
そこを基本的に一人で(2人以上のプレーヤーは画面に現れない)超えていく。

ソロの精神を遺憾なく発揮出来る。すばらしい設定だ。

わたしは2回目のトライでクリアできた。3D慣れしていないために、3D酔いになってしまったのが唯一の欠点か。

プレイすれば、一回登山に行ってきたぐらいの価値はある。ぜひ体験してみてほしい。

以下にゲームの中で出てきたような、イメージ的にぴったりこのゲームにあう写真を載せてみる。





ゲームの中の雪山の入り口。現実にこんな山があったら、絶対登れないだろう(笑)
双耳峰なので、白山に似ているな。

雪山に入る前の塔のてっぺん。ここまで来るまで、1回最初からやりなおした。


砂漠の中から見える、目的地の山。タクラマカン砂漠から、天山山脈を見るようなかんじなのか?行ったことが無いから、わからないが。作者は中国人なので、こんな風景を思いつけるのだろうか?








2021年8月3日火曜日

たいへんな暑さ

 


新型コロナがたいへんな状況になっており、山へ入ることはしないが、それにも増して気温が高い。
本日は37度ぐらいの気温が予想されている。

このような状況で山を歩くことはたいへんだ。以前何も知らない時に「山の上は涼しいだろう」と高をくくり、山に行ったことがある。
山頂付近でも気温は30度ぐらいあった。稜線の強い日差しが容赦なく照り付け、熱中症の症状が出始めた。
水は穂高のような場所でも、2リットルは必要。
途中で水を補給しなければ、足りなくなるほどであった。

経験を重ねた人ならわかると思うが、真夏の山は真冬の山とは別種の厳しさがある。
ただ、夜中は涼しいので、過ごしやすいだろう。
それにしても日中の日差しで岩が温まっており、蒸し暑い。
折立から夜中の2時に出発した時ですら、下からの温度を感じた。
空気は涼しいが、岩が熱い。
そのために、濃い霧が発生するほどであった。

このような暑さの中、登山すれば消耗することがはっきりわかっているので、行かない。
ましてや、緊急事態宣言がそこらじゅうで発出され、予断を許さない状況だと言うのに。

しばらくはおとなしくしているつもりである。

2021年8月1日日曜日

行きたいけどいけないジレンマ

 


山、行きたいけどなかなか行ける状況ではないのだよね。
コロナ感染者数増加が半端でなく、全国的にデルタ株が増えている。
水疱瘡なみの感染力だと思うと、少なくとも、人混みは避けたい。
何とかならないものだろうか?

ヘルペスウイルス科の水痘・帯状疱疹ウイルス (varicella-zoster virus) の初感染による。感染経路は、主に飛沫核感染(空気感染)と多彩で、水疱液の接触感染もある。非常に強い感染力を持ち、免疫が無い人が感染すると発症し、病院などでは同一フロアにいるだけで「軽度の接触」とみなす。

より専門的には「ウイルスを含有する飛沫もしくは飛沫核による空気感染・上気道・下気道がウイルスの排出、侵入、または接触のため感染する」といわれる。痂皮(かひ)になっていない皮膚症状からの接触感染、帯状疱疹の人からの接触感染や飛沫感染もある。なお、ウイルスの大きさは150から200ナノメートルで、患者が排出したウイルスは、チリやホコリや水の粒とともに室内を飛散し、一定以上の数を鼻やのど(上気道)から吸い込めば、患者にさわらなくても感染する。

これは、ダメでしょ。