2025年1月1日水曜日

地学の価値

 高校地学の本

よく文系で「役に立たない学問」の代表とされるのが「哲学」である。
一方の理系では「役に立たない学問」とされるのは「地学」であるらしい。
高校での選択率は1%ぐらいだという。
したがって、ほとんどの人は中学の理科で地学を学んだだけだ、ということになる。

しかし、私はこの「役に立たない」学問に非常に魅力を感じてきた人間である。
「哲学」は「物事の意味やこの世界の成り立ちの根源的なものを、論理的に追及する学問」であり、「地学」は、ふつう疑問にも思わないような「地面」を詳しく研究する学問である。
どちらにも共通するのが「あたりまえのものを、深く探求する」ということである。
ふつう人が興味を持たない対象に関して、深く知ろうと試みる。

地面は、どんな石でできているのだろうか?
そんなことを普通はだれも知りたがらない。
「そこにある」ものを深く考えてみても、何の役にもたたないからだ。
そんなことを学ぶ暇があったら、他人より一円でも儲ける理論を知っていたほうが良い、と思っている人が大半ではないだろうか?

しかし、世の中、それでいいとは、私は思わない。
むしろ、そういう「あたりまえ」の物事の中にこそ、新しい発見があるのではないか?
人が幸せになるためには、たしかにお金は大切だろう。
だが、お金だけで世界を見てしまうと、利益の他のものが見えなくなってしまう。
実際「利益」以外の場所はとても広いのだ。
すべて利益で考えると、山や海岸の石などはまさに役に立たない「石ころ」である。
そんなものは本当に「掃いて捨てる」ほど多く、膨大な量である。
人間はその中のほんのごくごくわずかしかない「金」「レアアース」などになら血眼になる。
なぜならそれは「利益」を生むからだ。
地学はそのような希少な金属元素を探索する目的の学問ではない。それは鉱物学や鉱山学などの別の分野の学問になるだろう

地学はまさに役に立たない「石ころ」や「泥」を対象にする学問だ。
そこから、地球や宇宙の成り立ち、仕組みを考える。
とても奥深く、壮大なスケールの学問ではないだろうか?
こういう学問が重視されなくなると、世の中は余裕のない、息苦しい世界になってしまう。
大都市がコンクリートで覆われ、大地が見えなくなっている状況は、まさに現代社会の状況を象徴している、と言えないだろうか?

人間はもっと大地に触れた方が良い。
大地と切り離されると、人間は本当に枯れてしまう、と思う。
そのために地学はもっと注目されてもいい学問ではないか?
それを学ぶことによって、私たちは「自分の成り立ち」を直接知る、ということにもつながるのではないだろうか?