2019年4月25日木曜日

死者からの伝言

「地上で乱舞する蝶も精霊が姿を変えて地上に降りて来たものだという。蝶に姿を変えた精霊は死者からの伝言を運ぶためにやって来る。」(国分拓『ヤノマミ』より引用)

山に登っていると、平地では見たことも無い蝶が舞っていることがある。
大日平では黒い蝶の大群に出会ったりした。
立山の弥陀ヶ原追分地蔵堂では旧暦7月15日ごろ、多数の蝶が群れ飛ぶという。これを昔の人は死者の魂だと考え、高塔婆を立てて供養したという(『和漢三才図会』)。

昔から蝶は死のイメージを持たれている。動物の死骸に集まる性質が、そのようなイメージを持たれるきっかけとなったにちがいない。冒頭に引用したのはアマゾンの先住民のシャーマンの言葉であるが、ストレートにこのイメージを説明している。

また、蝶は空をふわふわと飛ぶので、死者の魂がこのようなものだと思われたのかもしれない。
先住民の世界観によれば、死者は天にある「ホトカラ」という場所に行く。

「地上の死は死ではない。私たちも死ねば精霊となり、天で生きる。だが精霊にも寿命がある。男は最後に蟻や蠅となって地上に戻る。女は最後にノミやダニになり地上に戻る。地上で生き、天で精霊として生き、最後に虫となって消える。それが、定めなのだ。」

「ホトカラ」にいるのは、人間ばかりではない。動物が死ねば、そこに行く。
そこは何層にも積み上がった世界で、インド人の須弥山を中心とした世界観によく似ている。
インド人はその世界を「輪廻」するのだと考えたが、ヤノマミ先住民たちは「最後には虫となって消える」と言った。私には、その方がしっくりくるように思える。

山中をたった一人で歩いていると、確かに死者からの言葉が聞こえてくるような気がする。
なんとなく、懐かしい気持ちになる。
実際に標高が高く、これほど天に近い場所もないのかもしれない。
しかしそこは同時に「死」にも最も近い場所だ。

登山者は生きて無事に帰らなければならない。生きている限りは、下の世界に帰らなければならないのだ。
山は死者の世界なのだから。

ハイキング気分や登頂ゲーム気分で山に来ている人たちには、この感覚はわかりにくいかもしれない。

だから平気でゴミを捨てたりするのだろう。こんな綺麗な場所を汚してはいけない。
それは自分の心の奥底を、汚染するのと同じだと思うから。