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尻高山、坂田峠、シキ割、白鳥山 |
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日本海の水平線 |
「栂海新道」は、電気化学工業の故小野健氏を中心とした「さわがに山岳会」によって開かれた新しい道だ。
電気化学工業といえば、近くの青海黒姫山で石灰岩を採掘している会社だ。
”デンカ生コン”はセメントの大手。なるほど、全山が石灰岩で出来ているので、原材料は豊富にあり、水力発電を使って加工すれば、効率は良いわけだ。
ここの職場でたぬき汁を食べながら立ち上がったのが、「さわがに山岳会」だという。
(頚城三山を縦走していた時に、大量のさわがにに遭遇し、泡を吹いて登っている様子が「自分たちにそっくり」ということで、さわがにの名が付いたらしい。今は「ベニズワイガニ山岳会」に名称変更されたそうだ)
他の山岳会が海外へ遠征するなどする中、「自分たちにできることはないだろうか」、と考えられて、当時道のなかった天険親不知と朝日岳間の27kmに登山道を作ることを発願された、という。向かいの青海黒姫山から見たこの稜線が殊の外美しく、ここに登山道があれば、すばらしいと思われたそうだ。
最初は全くの「私道」としてスタートし、林野庁から国有林の盗伐の疑いをかけられ、逮捕されかかったり、苦難の連続だったという。
詳しくは
『栂海新道を拓く 夢の縦走路にかけた青春 山岳叢書』 を読んで頂くと良いと思う。
さわがに山岳会のメンバーの方達は、「近代アルピニズムの追求」とか「パイオニアワーク」とかの追求に魅力を感じられなかったそうだ(十分にその実力をお持ちの方達ばかりだった、と思うが)。
それよりも自分たちの測量技術や藪刈りの技術を利用して、新たな登山道を作ることは出来るのではないか、と思い立たれたそうだ。
これは今思えば実に先進的な考え方で、何も高い山に登るだけが登山ではなく、たとえ低山であっても「その中の自然と触れ合うこと」ということが、登山の大きな魅力であることを、身をもって示されたのだ。
栂海新道はすぐそばに海があり、そこに直接北アルプスが落ち込むという、すばらしい立地だ。これだけの場所は、世界を探しても珍しいのではないだろうか?
親不知は「西日本と東日本をくっきり分ける境界線」になっており、山姥伝説のある秘境でもある。
まさに、人間世界が神仏の領域と直接接する、特異な場所である。
こんな海の近い場所なのにカモシカまでいる。文字どおり、奥山がそのまま、人間の領域に顔を出しているのである。
この場所に登山道を拓くとは、実に素晴らしいことを考えられたものである。事実、この道はその後登山者の憧れの道となり、多くの人が歩くことになった。
海抜0mから、直接後立山連峰を縦走できるのである。そんな登山道はどこにも無い。ただし、非常にアップダウンがあり、体力と根性の要求される厳しい道であることだけは、忘れないようにしなければならない。
山の下は国道、高速道路、最近では新幹線まで通っている。ここの地形のあまりの険しさに全てトンネルの中ではあるが。
北陸地方の人間はここを通らないと、東日本には安易に行けない。後は安房峠を越えるか、木曽路を通るか、名古屋から東海道を通るかするしかない。いずれも北陸地方の人間にとっては非常に不便である。
昔の人は親不知の海岸を命がけで歩くか、白鳥山の横を通るかして、向こう側に出たのである。いずれにせよ、この地域を通過するために、大変な苦労をしたのである。
私がこの場所を愛するのは、ここに来るとなぜか「新たな展開」があるからだ。
不思議と、この場所を訪れた後は、身辺の状況が変わってしまったりする。
良い意味でも、悪い意味でも、ではあるけれども。